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   民家の裏庭に巨大な古墳!       
 


巨勢寺跡 左下の円形は心柱跡

 葛城古道から車で東に走って山を越え、巨勢(こせ)の道に来ました。ここからは菊井さんにご案内いただきます。ここは近鉄吉野線とJR和歌山線の間にある巨勢寺跡。
「巨勢の道は、明日香村から高取町を越え、曽我川を上って、吉野や和歌山へと出る道の拠点となるところで、御所市内部分は11kmほどです。ここは巨勢氏のお寺で、法隆寺より大きく、日本一のお寺だったそうですが、当時のままで残っているのは五重塔の心柱の礎石だけです。他の礎石もこの近辺にたくさん分散していて、ここにある大日堂や近くの冬野山正福寺(ふゆのさんしょうふくじ)、あるいは民家の庭などに使われました」

 


おもむきのある阿吽寺の山門


  巨勢寺跡から南へ15分ほど歩いて阿吽寺(あうんじ)へ。山にツバキがたくさん植わっています。
「全体で800本ぐらいあると思います。上には桜もあって、3月から4月の上旬が見ごろです。このお寺は巨勢寺の支院で、南北朝時代に巨勢氏が南朝方に就いたため、足利尊氏に燃やされて焼け野原になりました。その後、阿吽法師がここに来て、洪水で荒れ地になって貧しかった村を治水工事などで救ったため、人々は感謝して阿吽寺の再興を任せたということです」

 


以前に使われた「カマス」(八幡神社)


  阿吽寺から少し南に下ると、川合八幡(かわいはちまん)神社があります。小さなほこらが山の斜面に建っています。
「応神天皇と神功(じんぐう)皇后をお祭りしている神社です。応神天皇は荒っぽい気性の方だったため、10月9日の宵宮の時には、相撲大会をした後、『カマス』の中に餅を入れ、けんかのようにそれを引っ張って取り合います。女性がその餅を頂くと安産になると言われています」


水泥・南古墳

 川合八幡神社のすぐ南に水泥(みどろ)古墳があります。二つあって、北古墳は巨勢氏の子孫と言われる大きな屋敷の裏庭にありました。
「南古墳と北古墳に分かれていて、蘇我入鹿と蝦夷(えみし)の墓だという説もありましたが、年代的に合わないため巨勢氏のお墓と考えられます。南古墳に蓮華文(れんげもん)がありますが、仏教文化が渡来した時のものだと思います。北古墳は飛鳥の石舞台によく似て大きな岩を使った古墳で、相当立派な方の墓だと思います。30人ほどの団体を案内した時に、みんな入ったほどの大きさです」

 

巨勢の道

 
 御所市観光
   ボランティアガイドの会

 ■料金/
  交通費として
  ガイド1人につき1000円
 
 ■申し込み/
  御所市観光協会
  0745-62-3346
 

  人気の葛城古道と巨勢の道を歩きました。奈良の歩く道といえば山の辺の道がメジャーですが、御所市にもこんなに素朴な道があったのだと発見した気分になりました。皆さんも古代ロマンを求めて歩いてみてください。