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「業平道」は奈良から大阪への“ロマンチック街道”
クリスマスまで一月を切った今回は、ロマンチックな恋の道「業平道」を散策します。平安時代の歌人、在原業平(ありわらのなりひら)は、伊勢物語の主人公のモデルだとも言われている美男子ですが、奈良県天理市から大阪府八尾市まで20km以上もの道を、恋人に会うために歩いたという伝説を残しています。業平のようにその道を歩けば、恋の気分に浸れるかも知れません。



   開通が近い奈良の道    <西名阪自動車道の地図はこちら>
 

西名阪自動車道
 西名阪自動車道で業平道の起点、天理市に向かっています。天理インター手前の郡山インターは観光地の明日香村方面に行くアクセスインターですが、そこから南へ向かう幹線道路の国道24号は混雑がひどく、そのキャパシティをオーバーする車であふれています。そこで、約120kmに及ぶ京奈和自動車道を造っていますが、自動車専用部として開通済みの城陽〜木津に続き、06年春までに奈良県内の2区間が開通します。西名阪道とつながる大和郡山市から橿原市までの7.8kmと五條市内の7.9kmです。将来、京奈和道全体が完成すると、京都から和歌山まで行くのに、国道24号利用で4時間半かかっているのが、何と1時間40分になるそうです。

  在原業平誕生の地
 


在原神社に残る「筒井筒

   天理インターのすぐ南にある在原神社に来ました。業平誕生の地と言われているここには、明治時代の廃仏毀釈まで在原寺がありました。平城(へいぜい)天皇の皇子、阿保親王が別の場所にあった補陀落山(ふだらくさん)観音院本光明寺(ほんこうみょうじ)にお願いすると業平が授かったため、この地に本尊を移して在原寺としたという話が伝わっています。しかし、業平病死の後、その邸(やしき)をお寺にしたという記録もあり、真実は分かりませんが、ここから八尾市の高安に住む河内姫に夜な夜な出かけたとされています。その話は伊勢物語第二三段「筒井筒」にも登場。主人公は幼いころに井筒で背の高さを測りあった女性と結ばれるものの、やがて高安に女性が出来て通い始めます。しかし、妻は嫌な顔をするどころか、夜中に寂しい山道を一人歩きする夫を心配するばかり。それを知った主人公は浮気を一度はやめるものの…とそんな物語です。井筒とは昔の井戸にあった地上部分の囲い。今も境内には「筒井筒」が残っています。

  東西を結ぶ真っすぐな業平道
 


業平道(大和高田市椎木町

 天理市の西隣、大和郡山市に入って椎木町(しぎちょう)に着くと、雰囲気のある業平道が楽しめます。ここから、「斑鳩の里 観光ボランティアの会」の吉野俊明さんにガイドをお願いしました。
「魅力あるこの道を見てください。古道というと『山辺の道』など、趣ある木陰の道、山あり谷ありの曲線的な道を想像しがちですが、業平道は、奈良に都があった時代、条里制に沿った直線で構成された道の一つなのです」


業平道 約100m先に業平橋がある
 西へ5〜6km、安堵町を過ぎ、斑鳩町に入って富雄川に架かる人道橋に来ました。周辺の曲がりくねった細い道と違い、この道だけは真っすぐです。北には若草山、南には金剛山が見えます。
「ここは『業平橋』です。地名は高安で、八尾の高安と同じです。業平が通った道だと示すために高安という地名を付けたと言われていますが、本来はここが相手のいた高安村だったという説もあります。在原業平は皇孫で政府の要職にも就き、歌人として一級の文化人でしたから、度々女性の元へ通ったとは思えません。こちらの方が、現実味がありますね」


縦の道が業平道
横の道が法隆寺参道

 法隆寺参道の真ん中に立つと、南大門に大勢の観光客が吸い込まれていくのが見えます。この参道には、石積みが途切れて細く両側に逃げられるような道があります。
「これが業平道です。この道の東側を見ますと、天理の山が見えます。今日の出発点である業平の生まれたお寺が、この真っ正面にあります。逆に西側には、これから業平が彼女のところへ通う十三峠が家と家との間に見えます。このように、この道は東西をまっすぐに示しています」