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国道417 号「冠山峠道路」が結ぶ福井と岐阜
だいぶ寒くなってきたので、冬になってしまう前に寒冷地の福井県嶺北地方を目指すことにしました。まずは越前和紙の古里で、紙すき界での超有名人に“奇跡の技”を見せていただけることになっています。今ではあまりマスコミ取材を受けないというその方の技とは、果してどんなものなのでしょうか。その後は、紅葉を求めて国道417号を岐阜県方面へドライブします。



   米原検札所の謎  <名神高速道路の地図はこちら>
 

米原ジャンクション
 色づきかけた伊吹山を右手に見ながら米原ジャンクションへ。ここではETCを使っていない限り、一度止まって検札を受けなければいけません。その目的は、名神高速道路と北陸自動車道が複数ルートで行けるため、料金精算時に通ったルートを特定する必要があるためとのこと。ただし、舞鶴若狭自動車道も東海北陸自動車道も、まだ全部はつながっていないため、複数ルートとはもっと東のことを示しているそうです。例えば、北陸道から新潟県で上信越自動車道に入り、長野自動車道を経て中央自動車道に入れば、愛知県で名神高速に戻れます。それで、もし乗った隣のインターで降りたとしたら、相当な距離を走っているのに、通行料はインター一つ分となってしまいます。しかし、米原通過の記録が残ってしれば、そうはいかないことになります。

  巨匠御用達、紙すきの達人
 


打雲をすく岩野さん

  北陸自動車道の武生インターを降り、15分ぐらい東へ走って山間部に入り、越前市(旧今立町)大滝に到着しました。ここは手すき和紙生産の中心地、お目当ての岩野平三郎製紙所社長、三代目岩野平三郎さんに会うことができました。三代の平三郎さんはいずれも有名な紙すきの達人で、初代は横山大観をはじめとする日本画や近代画の巨匠たちに直接頼まれて、歴史に残る日本画紙を編み出しました。三代目平三郎さんも、現代の巨匠、平山郁夫画伯が薬師寺の「大唐西域(だいとうせいいき)壁画」を描く際に和紙をすきました。
「3m70cm×2m70cmの大きいやつなんですね。薬師寺の壁画になるっちゅうことで苦労しました。工場も建て、道具も作り、2年かかってようやく完成しました。結局、13面の壁画のために50〜60枚の紙を作りまして、先生にお送りしました」


雲状の藍と紫も模様が付く

 三代目平三郎さんは、二代目から引き継いだ「打雲(うちぐも)」という独特の技術を持ち、福井県指定無形文化財保持者でもあります。「平安時代から伝わる技術で、粘剤(ねり)を使ってすく『流しずき』の原理そのものが、この模様を生み出したと考えられます。非常に原理が簡単でありながら難しい。まず台紙をすき、その上へ藍(あい)と紫の模様を雲状に掛けていく。藍と紫の紙を染めて、それを石の上で砕いて細かくしたものを水の中に溶かして『華(はな)』と称し、それをすくって台紙の上に水の動きで流して雲状にするわけです。上が藍、下が紫で、天と地になるわけですね。平安時代はこれに貴族が和歌を書き、江戸時代ぐらいからは俳句も書かれました。今も注文があればすきます。今回はちょうど、紙屋さんと書道の先生から注文を受けたのですいているわけなんです」
  →打雲すきの動画を見る


白い布上で乾燥
 いいタイミングでお邪魔したことになります。実際にすくところを見せていただきました。藍色の華が入った液に台紙の手前側を少し浸して、手前から奥へと少しずつ流すようにして定着させていきます。山のようにも波のように見える線が浮き出て、グラデーションで雲を描いたような感じです。藍が済むと台紙を逆に持って、今度は紫色の華を手前に少しすくい、描いていきます。
「越前和紙は、日本でも一番古くからすかれている部類の和紙で、技術は1500年前から伝わっています。神様がいらっしゃるのは全国でも越前和紙だけで、伝説上で女性の神様が教えたという技術を、我々はずっと守り続けてきた。自然の材料であるコウゾ、ミツマタ、ガンピ、アサを使って作る千年の文化が今に伝わり、これをそのままの方法でまた千年後に伝えていき、それを生かしながら、用途に合わせた使いやすい紙を作ってあげることが一番大切なことだと思っています」