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観音浄土への入り口とクジラが待つ道
1泊ドライブ旅行の2日目は、熊野川河口の新宮市からスタート。国道42号を走って、那智勝浦町から太地町(たいじちょう)へと紀伊半島の東海岸をなぞってゆきます。太地町はクジラの町、どんなクジラたちが私たちを待っているのでしょうか。では、今回は新宮の方言で出発です。今日も元気に“行こらー!”。


  “大辺路のバイパス”を建設中          <国道42号の地図はこちら>
 

国道42号

 新宮港を過ぎると急に海沿いの道になり、右はごつごつした山、左はすぐ海という状態となりました。新宮の市街地から10分ほど走れば、那智勝浦町に入ります。この辺りの国道42号は、昔の熊野古道・大辺路(おおへち)にあたりますが、和歌山市と静岡県浜松市を結ぶ幹線道路の国道42号は、紀伊半島では海沿いを走っていて、和歌山県の主要都市がこれ1本だけでつながっている状態です。最近は、新宮市と那智勝浦町の市街地を中心に交通量が増え、渋滞が目立ちます。そこで、今、新宮港の東側のところから那智勝浦町まで、「那智勝浦道路」というバイパスを造っています。内陸の山の中を通る自動車専用道路で、9kmの区間で工事が行われており、開通目標は約3年後。待ち遠しい限りです。

  「歴史街道」って?
 
浜の宮海岸 奥は那智山
 JR那智駅近く、「浜の宮海岸」に来ました。ここ那智勝浦町は、「那智の大瀧」や熊野那智大社、勝浦温泉、マグロ水揚げ日本一の勝浦漁港、富士山が見える最遠の場所などがあり、観光地として有名で、「歴史街道モデル事業地区」に認定されています。国土交通省をはじめとする国の機関や近畿の自治体、民間企業などで構成されている「歴史街道推進協議会」は、近畿2府6県において、歴史文化を切り口に誰にも親しまれる町づくりを進める「歴史街道モデル事業」を進めています。認定された地区では、道や公共の建物を歴史街道の雰囲気が出るように整備したり、案内板を設置したり、イベントやキャンペーンをしたりして、ハード・ソフト両面の取り組みが行われています。街角で見かける「歴史街道」のマークや文字に注目です。

  密閉舟で決死の出帆
 
普段は非公開の本尊
「三貌十一面千手千眼観世音」

 浜の宮海岸の北に位置する補陀洛山寺(ふだらくさんじ)に来ました。昨年、世界遺産にも登録された有名なお寺です。その歴史について瀬川伸一郎さんに伺いました。
「開山は4世紀前半といわれています。補陀洛は梵語の『ポタラカ』がなまったもので、ポタカラは『観音菩薩が住みたもう場所』を意味する山の名前です。ここが補陀洛山寺になった理由は二通り考えられ、一つは、インド南部コモリン岬の先端にある霊地の山の名がポタカラで、その東門(とうもん)がここだという解釈です。もう一つは、ここ熊野一帯が霊地であり、昔から補陀洛と呼ばれていたという考えです」


補陀洛渡海をした舟(復元舟)
 僧侶が船で海を渡る「補陀洛渡海」が有名です。
「境内に復元舟がありますが、四方に鳥居がある小さな帆掛けの屋形船に乗り込み、外から板で完全密閉されます。窓もない状態でこの浜から出て、中国の舟山(しゅうざん)列島の『普陀山(ふださん)』と『落迦山(らっかさん)』という島を目指しました。観音の浄土だと信じられていたそうです。しかし、小さな舟では荒海の太平洋に水没するか、黒潮に乗って西ではなく東へ行ってしまう。自殺行為です。それでも出ました」

 食料などはどうしたのでしょうか。
「鎌倉時代の書物『吾妻鏡』には、智定坊(ちじょうぼう)というお坊さんが、30日分の食料とわずかの灯油だけを積んで出ていったという記録があります。また、室町時代には、日秀上人(にっしゅうしょうにん)という方が沖縄へ漂着し、3年間おられて仏教を普及。鹿児島県隼人町に戻ってきたという記録があります。日本海流には逆流があるらしく、それに乗ったといわれています」

 
  補陀洛山寺
 
 ■拝観時間/8:00〜16:30
 ■拝観料/無料
 ■TEL /0735-52-2523