観音浄土への入り口とクジラが待つ道 1泊ドライブ旅行の2日目は、熊野川河口の新宮市からスタート。国道42号を走って、那智勝浦町から太地町(たいじちょう)へと紀伊半島の東海岸をなぞってゆきます。太地町はクジラの町、どんなクジラたちが私たちを待っているのでしょうか。では、今回は新宮の方言で出発です。今日も元気に“行こらー!”。 |
“大辺路のバイパス”を建設中 <国道42号の地図はこちら> | |
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「歴史街道」って? | |
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密閉舟で決死の出帆 | |
「開山は4世紀前半といわれています。補陀洛は梵語の『ポタラカ』がなまったもので、ポタカラは『観音菩薩が住みたもう場所』を意味する山の名前です。ここが補陀洛山寺になった理由は二通り考えられ、一つは、インド南部コモリン岬の先端にある霊地の山の名がポタカラで、その東門(とうもん)がここだという解釈です。もう一つは、ここ熊野一帯が霊地であり、昔から補陀洛と呼ばれていたという考えです」 |
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「境内に復元舟がありますが、四方に鳥居がある小さな帆掛けの屋形船に乗り込み、外から板で完全密閉されます。窓もない状態でこの浜から出て、中国の舟山(しゅうざん)列島の『普陀山(ふださん)』と『落迦山(らっかさん)』という島を目指しました。観音の浄土だと信じられていたそうです。しかし、小さな舟では荒海の太平洋に水没するか、黒潮に乗って西ではなく東へ行ってしまう。自殺行為です。それでも出ました」 食料などはどうしたのでしょうか。 「鎌倉時代の書物『吾妻鏡』には、智定坊(ちじょうぼう)というお坊さんが、30日分の食料とわずかの灯油だけを積んで出ていったという記録があります。また、室町時代には、日秀上人(にっしゅうしょうにん)という方が沖縄へ漂着し、3年間おられて仏教を普及。鹿児島県隼人町に戻ってきたという記録があります。日本海流には逆流があるらしく、それに乗ったといわれています」 |
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補陀洛山寺 ■拝観時間/8:00〜16:30 ■拝観料/無料 ■TEL /0735-52-2523 |
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