●鐘の鳴る道 その4
 

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和子・語り「2年がたち、信吉もなんとか一人前に豆腐が作れるようになりました」

●ナイター中継を見る信吉
信吉「あーっ、打たれよった。逃げるな言うてるやろ。堂々と勝負して打たれたらしゃあないねん。星野さん、怒るはずやで」
定吉「けっ、素人がいっぱしの解説者気取りで見よってからに。信吉、今日は久しぶりに外回って、どやった?」
信吉「まあまあやったわ。薄揚げが、全部出たさかい。けど、行く先々で、今日は大将やないんやねて聞かれたわ。親父も年なんで、交替でやってますねんて、たんびたんび説明せなあかんかったわ」
定吉「わしのファンの多さを知ったか」
信吉「まあな。けど、自転車で売るのんて、やっぱりしんどいな」
定吉「楽して儲けることなんかでけへん。金の成る木なんかないんや」
信吉「なあ、自転車をバイクに変えたらどやろ。スピードアップにもなるし、今以上に広い範囲を回れるし」
定吉「あかん!バイクなんかで回ったら、お客さん、鐘の音聞いて鍋持って表へ出ても、間に合わへんがな。この森福が福島で商売でけんのも、福島の道があればこそのことや。ここらの道は、森福の味とお客さんをつなぐ道なんや。わしのじいさんも、親父も、わしも、ずっとそれを大事にしてきた。お前の代になっても変えたらあかん」
信吉「そんな時代遅れなこと言うてたらあかんて」
定吉「けどな、自転車に乗ってたら、道がお客さんのこと教えてくれるねん。わしの若いころは、安治川の『8本煙突』が見えたらこの家、6本に見えたらこの家ちゅう具合に教えてくれたもんや。安治川の河口にあった発電所の煙突でな、見る場所によって本数がちゃうねん。わしはな、中学出てから3年間、なんぼ寒い朝でも、自転車で豆腐売りに行かされたんや。辛かったな。けど、手ぇ抜いたら、容赦なく親父の拳骨が飛んできよった。外回りが、豆腐作りの修行の道やてな」
信吉「嫌になったこと、なかったん?」
定吉「なんべんもあったわい。殴られた腹いせに、自転車に積んだ豆腐と油揚げを、全部大川に捨てたったこともあったわ。けどな、流れてく油揚げ見てたら、あの一枚一枚に親父の真心がこもってんのに、わしなんちゅうことしたんやて、えらい罪悪感を覚えてな。正直に言うたら思っきし殴られたわ。豆腐を待ってるお客さんのこと、忘れたんか!て。けどな、後で考えたら、一番怒って悲しんでたんは、豆腐を捨てられた大川と、いつも自転車で通る道やったと思う」
信吉「お父ちゃん、道に育てられたんやな」
定吉「福島も大淀も、わしの知らん道はなかったな。初めて豆腐や油揚げが全部売り切れた時は、嬉しかったなあ。わしは古い人間や。確かに時代遅れかもしらん。けどな、森福の豆腐を待っててくれるお客さんが1人でもいてるうちは、自転車はよう捨てん。お前の意見聞いて、豆腐の製造の機械はちょっとだけ入れたけど、これは譲れん」
信吉「それと、油揚げの手揚げもな」
定吉「そや」

       * * *
●豆腐売りの鐘の鳴る福島の道
客 「豆腐屋さーん!」
信吉「まいど」
客 「絹ごし二つやって」
信吉「今日は2丁も買うていただけるんですか」
 「千里の孫が来るさかいな。ここに遊びに来ると、チリンチリンの鐘の鳴る道やて、いっつも言うてるわ」
信吉「すんません、280 円です」
 「ほい。ほな、頑張ってや」
信吉「まいどありがとうごさいます。…チリンチリンの鐘の鳴る道か。なるほどな。お父ちゃんにしたら、この道こそ、『金の成る道』やったんやな」

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