今年の冬は寒さがこたえましたが、待ち遠しかった春がいざ近づくと、
冬が名残惜しくなってきました。そこで今回は、最後の冬の味を求めて
日本海の香住へドライブします。そう、カニに向けて、出発!



播但連絡道路


「生野書院(郷土資料館)」


兵庫県生野町「生野街道」


つららが並ぶ「生野街道」


「史跡・生野銀山の内部」

 

     生野銀山の地図はこちら>


「生野街道」の誕生

大阪から中国自動車道を西へ、福崎から番組初の播但連絡道路へ入り、
北へ向かっています。この播但連絡道路は姫路から和田山までで、
日本海へは抜けていません。香住方面へは、舞鶴自動車道を北上し、
福知山から西へ向かうルートもありますが、こちらも高速道路は
途中までです。

播但連絡道路をさらに北へ走り、「佐渡の金山、生野の銀山」で
有名な兵庫県生野町に到着。生野インターから5分ほどの、
「生野書院」にやって来ました。
ここでは、銀山を中心に生野の歴史が学べます。
「生野書院」元館長で生野町文化財委員の藤本博さんに、
生野銀山について伺いました。
     
 「生野に銀があると分かったのは、1200年ほど前の
 大同年間です。中国から仏教が伝わり、東大寺に大仏が
 開眼するなど、全国にたくさんお寺が建てられましたが、
 仏像や仏具には銅が必要なことから、近畿地方の鉱山が
 調査されました。生野には銅はなかったものの銀がある
 ことが分かりましたが、仏像や仏具に必要ないため
 放置されていました。注目を浴びたのは、700年ほど
 後の戦国時代。伝来した鉄砲に武将たちが飛びつきま
 したが、鉄砲を買うには金か銀が必要です。そこで、
 生野の銀を掘りはじめました。一番熱心だったのが 信長で、
 日本統一を目指し、生野銀山を占領して銀を掘らせました」

大阪とも関係が深そうです。
 「徳川幕府は、生野銀山で採れた銀を全部大阪の銀座、
 今の造幣局へ送り、銀貨にしました。生野で灰吹銀に
 精錬し、馬で姫路、兵庫、尼崎を通って大阪へ運んだ
 のです。馬と人で運んだので広い道はいらなかったの
 ですが、明治になって政府が生野に精錬所を造り、
 必要な機械や石炭、塩などの資材を船で姫路へ運ん
 だため、姫路から生野への道路が必要になり、
 整備されたのが生野から飾磨(しかま)港までの
 12里15丁(約49q)の道で、資材を運んだ帰り
 には銀が運ばれました」

それが「生野街道」のはしりというわけです。
 「フランス人の指導で、世界一の道を目指して
 造られました。マクアダム式道路といって、
 一番下に粗い採石を敷き、その上に少し細かい石、
 さらにその上に一種の砂を並べて固めた、
 今のアファルトに近い道路です。排水のために 一般道
 より一段高くした、高速道路のような道が生野街道でした」

 「生野書院」
 ■開館時間/9:30〜16:30
 ■休館日/月曜日と金曜日(祝日の場合は翌日)、12月28日〜1月4日
 ■観覧料/無料
 ■TEL /079-679-4336

生野銀山潜入
今も残る生野銀山に来ました。坑道が約1qにわたって
観光用に整備されていて、ごつごつしたノミ跡の坑道が続きます。
作業の様子を示す人形があり、石を砕き坑道を掘り進む様子が
分かります。歩けるのは明治時代に近代的方法で掘られた
坑道ですが、所々に徳川時代の狭い穴があります。
貝に油を入れて明かりを取り、はって掘り進んだ坑夫の
苦労がしのばれます。
ここには、世界的に有名な三菱ミネラルコレクションの
「生野鉱物館」もあります。

 「史跡・生野銀山」
 ■営業時間/9:00〜17:30(12月〜3月16:30まで)
 ■入場料/大人900 円、中高生600 円、小学生400 円 
    *生野鉱物館は別に200 円
 ■TEL /079-679-2010


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