長尾街道(松原市)



本薬師寺跡(橿原市)


薬師寺・東塔と西塔


薬師寺金堂・薬師如来座像

  
     元薬師寺跡の地図はこちら>



橿原市「元薬師寺跡」

松原市役所の南側にある長尾街道の道標から、東へと
“日本のシルクロード”を走っています。
シルクロードは紀元前111年に出来た道。
最初は、長安からガンダーラまでの交易路を差していましたが、
最終的にローマまでの道となりました。

その一部であるこの長尾街道を走ると、堺の仁徳天皇陵の北から、
反正天皇陵、雄略天皇陵へと続く、倭の五王時代の古墳が多いルートで ある
ことに気づきます。難波大道が堺まで下った理由の一つなのでしょうか。

長尾街道は藤井寺で途切れ、府道12号、国道165号で當麻へ出て
竹内街道と合流、橿原市へ。 「元薬師寺(もとやくしじ)跡」に来ました。
両腕を広げたぐらいの大きさの石が、10数個、規則正しく並んでいます。
西には畝傍山、東には天香久山が見えます。
薬師寺は、元々、ここにあったんですね。


玄奘三蔵の教えを伝えた道

奈良市の薬師寺に来ました。薬師寺の松久保伽秀(かしゅう)さんに伺いました。
        
 「薬師寺は、680年に、天武天皇が後の持統天皇となる皇后の
 病気平癒を祈られて発願、(橿原市で)創建し、718年に
 平城京遷都と共に移って来ました。寺の施設を橿原に残したまま、
 奈良に新築したという説、ごっそり向こうから奈良に移したとする説など、
 いろいろありますが、おそらく何らかのお寺の施設は残ったという
 感じはします。東塔に引っ張って来た跡があるともいわれていて、
 移築説、新築説などさまざまな説が入り交じった謎のお寺です」

運んで来たとしたら、どんな道を通ったのでしょう。
 「平城京と藤原京を結ぶ道があったようです。
 難波津(なにわづ)と結ぶ道『太子道』もあり、
 天武天皇も街道整備を行っています。道は、物を運び、
 文化を伝えた。歴史を考える上で道は重要だと思います」

薬師寺は、シルクロードの終着点ともいわれています。
 「御本尊の薬師如来の台座に、世界の文様が入っています。
 ギリシャの葡萄唐草、ペルシャの蓮華文様、南インドの神クベーラを
 描いた文様、そして中国の四神獣。ギリシャ、ペルシャ、インド、
 中国をつなげばシルクロードです。長安が終着点ではなく、
 多様な文化が日本に伝わったことが分かります。
 中国から、まず建築様式が入り、文化が伝わりました。
 唯識(ゆいしき)という仏教の基礎を体系化した玄奘三蔵の教えは、
 日本に法相宗(ほっそうしゅう)として伝わっています。
 薬師寺には玄奘三蔵院伽藍があり、そこに平山郁夫先生が
 玄奘三蔵の心を描いた、『大唐西域壁画』が納められています。
 玄奘三蔵が信念を持ち、一つの道を旅した思いが、
 この絵のなかにはあります」

  「法相宗大本山・薬師寺
 ■拝観時間/8:30〜17:00 *受付は16:30まで
 ■拝観料/大人500円、中高生400円、小学生200円
     *玄奘三蔵院公開日(03年6月10日まで)は
       大人800円、中高生700円、小学生300円
 ■TEL /0742-33-6001


“日本のシルクロード”の東の終着点まで走りました。
古代の人も、薬師寺の伽藍などを見ながら、中国や西域に思いを馳せたんでしょう。
ところで、今日走った長尾街道、そして竹内街道は、混雑が気になります。
南阪奈道路の開通が待ち遠しい限りです。

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