義士祭のパレードは駅前から出発


街並が保存されている坂越


坂越まち並み館に残る金庫


旧坂越浦会所

  
     <赤穂市の地図はこちら>


赤穂市長が内蔵助に扮して

駅からほど近い赤穂市役所に来ました。
赤穂市は、「お城通り」とかあって、昔ながらの街並が
残っていたり、城下町をイメージした街の整備が進められ
ていたりと、観光に力を入れた街づくりをしているようです。
観光商工課の高見直樹さんに、「赤穂義士祭」について伺いました。
        
 「毎年12月14日、赤穂義士の討ち入りにちなんで行われる
 赤穂市最大のイベントです。中心はパレードで、
 元禄絵巻さながらのけんらん豪華な行列が次々と繰り出します。
 一番の呼びものは、討ち入りの格好をした47人の『義士行列』。
 今年は討ち入りから300年の節目でもあり、
 大石内蔵助役には 赤穂市長が扮し、全国の忠臣蔵ゆかりの
 地から市長などを招いて構成します」

300周年の特別イベントもあるようです。
 「13日は前夜祭。駅前通りでオープニングイベントをし、
 舞台を赤穂城本丸に移して、郷土芸能や寸劇などをします。
 締めくくりは770発の冬の花火です」


塩で栄えた「坂越大道」

千種川沿いに上って、坂越(さこし)に。
昔の山の街道筋のようで、石畳風に整備された道の両側に
古いたたずまいを残す家々が並びます。木造2階建で瓦葺きの
「坂越まち並み館」で、「坂越まち並みを創る会」会長の
篠原明さんに伺いました。
        
 「坂越は、京都の広隆寺を建てた秦河勝(はたのかわかつ)公が、
 7世紀中ごろ、蘇我入鹿の乱を避けて漂着した場所です。
 彼は坂越から千種川流域を開発し、この街は、秦河勝公とは
 切っても切れない関係にあります。天然の良港であり、
 前の生島が防波堤の役を果たしているため、16世紀から
 17世紀に廻船業で栄えました。赤穂の塩を一手に引き受け、
 大阪、東京へ運んだといいます。この通りは『大道』で、
 奥藤酒造を中心に酒蔵や家並みが続きます。
 ただ、明治38年ごろに塩が専売制になり、廻船業も衰退しました」

この建物も、内部に金庫があって不思議です。
 「ここで奥藤さんが、銀行業をされてました。赤穂市が、
 平成6年に借り受けて改装をし、展示館として、
 また立ち寄っていただいた観光客の方を私たちが
 ご案内するような施設として使っています」

その他の見どころはどこなんでしょう。
 「『旧坂越浦会所』は、行政や商業の事務をとる
 一種の役場ですが、森藩の藩主が『観海楼』という
 部屋で泊まって、舟遊びをしたという旅館的な役目も
 ありました。天保2年から3年にかけて建てられました。
 『大避神社』は秦河勝公を祭るお宮で、本殿は1769年の
 建立です。拝殿の両側の絵馬堂には、40あまりの絵馬が
 掲げられ、日本最古の1722年の船絵馬もあります」

 「坂越まち並み館」
 ■開館時間/10:00〜16:00
 ■休館日/毎週火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
 ■入館料/無料
 ■TEL /0791-48-7770



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京都府大江町を訪ねました。京都縦貫自動車道、来年は舞鶴大江インターから宮津インターまで、さらに何年か後には、
丹波インターから綾部インターまで完成するそうです。そうなると、ここ大江町にも気軽に来ることが出来ます。