紅葉真っ盛りの季節です。そこで今回は、紅葉の名所、京都の大原へドライブします。
地元住民の私が、普通とは少し違う道で大原へとご案内します。


上善寺の地蔵堂


鞍馬街道


比叡山の眺めを借りた円通寺の枯山水庭園


住職の北園文英さん

 

     <大原の地図はこちら>


六地蔵のひとつ「鞍馬口地蔵」

京都市北区鞍馬口通り寺町の上善寺に来ました。
南に下れば上京区、東の賀茂川・出雲路橋を渡れば左京区です。
寺町は、豊臣秀吉が京都中のお寺を集めたところですが、
上善寺には、京都六地蔵のひとつ「鞍馬口地蔵」があります。
六地蔵は、天上道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の
六道を輪廻転生して苦しむ人々を救おうとした地蔵菩薩が、
それぞれの世界に姿を現したもの。平安時代、小野小町の祖父で、
昼は朝廷、夜は閻魔さんに仕えたという小野篁(おののたかむら)が、
一木から彫りあげたとか。伏見区六地蔵、昔の木幡に6体あった
そうですが、後白河法皇の勅命で、平清盛が京都の出入口6ヶ所に
六角堂を建て、1体ずつ置いたそうです。
鞍馬口地蔵は深泥池辺りに置かれていましたが、
明治時代に上善寺に移されました。大きくて面長。
右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠を持っています。
六地蔵は、姿、顔、大きさがそれぞれ違います。

上善寺から東へ。賀茂街道鞍馬口、出雲路橋西詰に来ました。
ここには鞍馬口の石碑があって、牛若丸が天狗相手に修行した
「鞍馬街道」が始まっています。大原へは、国道367号を
出町柳から高野川沿いに上り、八瀬を経由するのが一般的です。
でも、今回は文治2年に後白河法皇が寂光院へ行幸した「小原御幸」の
道をたどって、鞍馬街道から静原経由で大原へ向かいます。

借景式庭園の格別な眺め

鞍馬街道を行く途中、左京区岩倉の圓通寺へ。
比叡山を背景にした枯山水の借景式庭園が有名なお寺です。
コケの中に石が配されていて、生け垣や杉、ヒノキの向こうに
比叡山が見えます。国の名勝にもなっています。
いつごろ建てられたのか、 ご住職の北園文英さんに伺いました。
 「江戸初期、後水尾天皇により離宮として建てられました。
 修学院離宮の前身であり、幡枝離宮と呼ばれていました。
 後に、天皇の施入で寺院となっています」
借景式庭園などについて伺いました。
 「日本では、中国発の手法である借景の眺めを用いた庭園が主流で
 したが、悲しいかな、今日ではそれが少なくなりました。
 ここは修学院の原形ですから、同じく上・中・下(かみなかしも)の
 茶屋がありました。ただ水脈が乏しく、中国的思想が芽生えない。
 だから、豊かな水と眺望のある比叡山の麓に、離宮が造営されたんです」
現在の建物は由緒あるものなのでしょうか。
 「上・中の茶屋は近衛家に下賜し、現在は下だけが残っています。
 建物は、仙洞御所から移築したもので、修学院にも同じ所
 からのものがあります」
天皇が造られた庭としては、予想外に簡素な雰囲気です。
 「ここへ来られたのは、天皇から上皇、そして法皇になってから。
 因縁がないような感もあるのは、政治的失意も原因のひとつじゃ
 ないですかね。功成り名を遂げてより造られたので、
 飾りが少なくシンプルです」
借景は、向こうの景色が変わってしまうと、この庭自体が意味が
なくなりますが、保護されているんでしょうか。
 「風致地区で歴史風土保存地区ですが、それはお寺の境内地だけです。
 来年になりますと、住宅が建つ可能性もございます。
 そこで今(2002年12月8日まで)、拝観時間の延長をして、格別なる夕刻の
 庭園の素晴らしさ、4時以降の幽玄の世界を味わっていただき、
 現状を知ってもらえればと思っています。
 今の京都は、京都駅と書いてあれば京都駅になる感覚です。
 それで京都全体をアプローチされると大変な街になります。
 古都が古都であり続けるためには、古い町家や社寺、ビルが
 いかに共生しあうかを考えるべきではないでしょうか」

 圓通寺
 京都市左京区岩倉幡枝町
 ■拝観時間/10:00〜16:00(2002年12月8日までは5時15分まで)
 ■拝観料/大人500円、小中学生300 円
      *抹茶400 円
 ■TEL /075-781-1875

 

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