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古代を語る古墳群、アユに託す30年代への思い。 大阪府柏原市を流れる大和川に来ました。水管橋が、高井田地区と対岸の片山町を結んでいて、そこにたくさんのこいのぼりが下がり、風になびいています。赤、青、黄、なかには手作りのものもあって、まるでこいのぼりの虹のよう。家庭で使われなくなったものを市民から集めて、大和川に上げているそうです。今回はまず、ここから東方向に見える木々の繁った丘を目指します 。 |
大和川を一望する、謎の洞くつたち。 <大和川の地図はこちら> | |
JR高井田駅から少し北に上がると、緑の丘陵地帯に「史跡高井田横穴(よこあな)公園」が広がっています。いくつもの公園や遊歩道、バラ園や展望台などがありますが、メインは高井田横穴古墳群です。大和川を一望するこの古墳について、史跡高井田横穴公園にある「柏原市立歴史資料館」学芸員の安村俊史(しゅんじ)さんにお話を伺いました。まずは古墳群の概要から。 ![]() |
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普段は入れない古墳の中に入れていただきました。中は真っ暗で、空気が凛(りん)とした感じ。正面にお風呂のようなものがあります。 「石棺ですね。普通は古墳を造ってから石棺を入れるんですが、ここは洞くつと一緒に石棺も掘り抜いています。だから、壁や床が一体になっているわけです。洞くつは4畳半ぐらいが多く、広くて6畳ぐらいですね。また、この高井田横穴群は壁画があることで有名ですが、高松塚古墳やキトラ古墳のような絵で描いたものと違い、線で刻んだ線刻壁画です。この絵は人が刀のようなものを持って振りかざしていますが、多分、人ではなく武器を持っていることを描きたかったんだと思います。だから、武器が人の倍ぐらいの大きさになっていますよね」
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「分かりません(笑)。庶民の墓ではないし、政治を左右したような人たちのお墓でもない。ある程度、有力な人たちのお墓だというのは分かりますが、これが造られた6世紀後半ごろに人が住んでた集落の跡が、この近辺から全く出てこないのが大きな謎なんですよ。ちょっと遠く、例えば大和川の向こう側とかに住んでいた人が、ここにお墓だけ造っているようなんですね。渡来系の人のお墓だともよく言われますが、私は違う説を持っております。これだけ丁寧に加工して造っているわけですから、かなりの技術を持っていた人たちが入っているんじゃないかと。石の加工をする専門の集団を支配していた「土師氏(はじし)」が、今の藤井寺市の辺りに住んでいたことが分かっているので、その人たちか、その人たちと関連のある技術者たちが造ったんじゃないかと考えています」 |
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柏原市立歴史資料館に入りました。高井田横穴古墳群から見つかった壁画の一つがあります。 「これはレプリカです。一番有名なのが右上の壁画で、舟に乗っている人を表現しています。故人が大和川を舟で行き来して活躍していた様子を描いたとすれば、大和川と非常に関係が深いんですけど、あの世に旅立って行くのに舟を使っているという絵なら、直接は大和川と関係ないことになります。本物のこの壁画がある古墳は、年に2回、公開しています」 |
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柏原市立歴史資料館 *「戦争の記憶〜2000年の歴史〜」開催中 |
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