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河原で商売した人々、江戸で自ら商売した殿様。
和歌山県新宮市を流れる熊野川。大阪から来るのにとても時間かかかることもあり、ここは別世界です。新宮市の新宮とは、市内にある神倉山に熊野三所(さんしょ)権現が降臨し、その後、今の熊野速玉大社の所に移ったため、神倉神社の旧宮に対する新宮としての熊野速玉大社を意味します。今回は、その熊野速玉大社の近く、熊野川の河口近くにあった“幻の集落”についての話題からスタートします。



    解体し、女性でも運べる家。    <熊野川の地図はこちら>
 


熊野川

 熊野川の向こう側、三重県紀宝町から、町議会議員の矢熊敏男さんに熊野速玉大社まで来ていただきました。矢熊さんは、昨年まで和歌山県立新宮高等学校で教べんを取っておられましたが、今回は先生時代に指導されたことについて伺いました。かつて、河原にあった町について。
「熊野川の河口から約1kmさかのぼったところに、江戸時代、江戸や大坂に行く回船が停泊した『池田港』があり、さらにそこから1kmさかのぼったところの河原に町がありました。今は何もありません」

 河原に町が出来たのは、いつごろなのでしょう。
「古い書物である熊野年代記によると、776年に河原町があったという記述がありますが、地図等に現れるのは江戸時代初期からだと思います。そして、昭和20年ごろまで約300年続いていたと言われています。全盛期は大正の初期ごろで、二百数十軒の『川原家』が軒を連ねて、いろいろな商売をされていたと言われています」
 


町があったと思われる河原

 なぜでしょうか。
「現在のように鉄道も車もなく、道路も発達していませんので、熊野川が交通の大動脈であったわけです。上流の北山川や十津川からいかだ流しで材木を運び、舟で備長炭を池田港まで運び、そこから江戸や大坂に送っていました。熊野川が大動脈として使われていたため、近くの河原が町として栄えたということです」

 川原家というのは、どんな建物なんでしょうか。
「熊野川の河原は年に数回洪水になり、水で浸かるので、雨が降ったら建物をたたんで高い丘の上へ運びました。川原家は解体と組み立てが非常に簡単な建物で、釘を1本も使っていないため、子供や女性でも運べるような細かいパーツに分解できたんです。また、現代のプレハブと違って、専門家でなくても組み立てられるという特徴がありました」

熊野速玉大社

 分解、組み立てができる家。大きさはどれぐらいだったのでしょう。
「当時の川原家は、間口3間、奥行き2間、高さが9尺と言われております。現在で言いますと12畳の広さですね。この基本的な建物を3人ぐらいで、約1時間ぐらいで解体して運べたんじゃないかと私は思っています。ただ、居住性について、寒さ、暑さは現代の人にはちょっと厳しいんじゃないかと思いますか、当時は少々の寒さや暑さには耐えられてる人が多かったんじゃないかと思います。しかし、永久に住む家ではなく、いわゆる商いの建物ですので、新宮節にもあるように、『河原で3年3ヵ月うまく商売できたら蔵が建つ。家さえ流されなければ』ということで、当時の人はそういう厳しさにも耐えていったんじゃないかと思います」


川原家を使った売店(速玉大社)
 その川原家づくりを新宮高校で指導されました。
「平成7年度から職業教育の中に『課題研究』という必修科目が出来ました。週2時間、生徒たちがテーマを選んで1年間取り組むというものです。まあ、レベルはちょっと低いんですが、大学の卒業論文みたいなような科目です。この中で、熊野の歴史と技術を体験するため、川原家を復元してみようやないかと生徒たちに言いましたら、土木技術コースから8名、建築技術コースから8名がやろうじゃないかとうこということになりました。そして、その年の11月に和歌山市のマリーナシティで行われた『第5回全国産業教育フェア』に出品して、組み立てや解体を実演したところ大変好評で、それ以後ずっと年に二棟ずつ生徒たちと造りながら勉強してるわけです。過去にこの辺で全国植樹祭があり、その時に地元の林業関係の方が天皇陛下に川原家を見ていただいたというようなこともあり、生徒たちと復元するには大変おもしろいテーマなんじゃないかと思い、取り上げたわけなんですね」


川原家の特徴の一つ「跳ねだし窓」
 私たちのいる熊野速玉大社の境内にある土産物の店が、実は川原家です。
「そうですね。この建物は平成11年度に開催された熊野体験博の際、2棟、那智の滝の近くで休憩所として造られたものの一つなんです。体験博が終わり、速玉大社さんから土産物店に使えんやろかという相談があり、ここに建ったわけです。川原家は、組み立て式とは思えない風情がありますが、私たちは快適な生活に慣れてますので、住宅には向かないと思っています。私も、庭に2年間ぐらい建てていて、2〜3日泊ったこともあるんですが、寒くて暑くて、大変でした。もう撤去しましたが、茶室として造って使ってみたんです。これからの活用法としては、こういう土産物店や、海や川などの夏の売店、あるいはモーターキャンプ場の木のテント、それから茶室やホテルのロビーでの出店みたいなもが考えられます。また、東京のある業者の方は、3畳ぐらいのものをヒノキなんかで造って、アロマセラピーを利用した『癒しの小屋』にならないかと言っています」