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若狭国の、お寺とお城と水ものがたり。
立春の今日は、奈良に春を呼ぶ東大寺二月堂の「お水取り」と関係が深い、福井県小浜市を流れる遠敷(おにゅう)川の史跡「鵜(う)の瀬」に来ています。ここで3月2日に行われるのが「お水送り」。2kmほど下流にある神宮寺で取った水を、東大寺に送り、10日後の3月12日にお水取りが行われます。あんなに離れたところまで、どうやって送るのでしょう。伝説を含めてご紹介します。



   若狭から送る、聖なる水。   <遠敷川の地図はこちら>
 


様石(一番右)

 山深い静かな緑の中を入って行くと、そびえ立つような存在感のある本堂が目を引く神宮寺。歴史を感じさせる風情ある建物です。山川尊聖(そんじょう)住職にお話を伺いました。「神宮」と「寺」の両方が入っているのは、どういうことでしょう。
「神仏混交と言って、古来からずっと続く日本人の典型的な信仰形態が、今も神宮寺という名で残っています。ほとんどは明治の神仏分離令で消えてしまい、もうここだけしかないらしい。ここは創建当時、若狭国の神様が願って建てた『神願寺』だったために、何とか難を免れたのかもしれません。創建は和銅7(714)年と言われていますが、平城遷都の4年後に奈良のほとんど真北に設けたというのは、国自体がこちら方面に思慮があったのかもしれない」

 


閼伽井

 ところで、お水送りはどのように行われるのでしょう。
「境内南側に『閼伽井(あかい)』という井戸があります。閼伽はインドの古い言葉で水を示すらしいんですが、日本には神仏にお供えする清い水として伝わり、それをくみ上げる場所を閼伽井戸とか閼伽井屋とか言います。『お水送り』では、くみ上げられた水がお堂の中にお供えされ、お坊さんは『悔過(けか)』という厳しい行に入ります。祈りの儀式が繰り返されて行くうち、その水に『法味』が段々と加わって『お香水(こうずい)』に変わっていく。最後は、お堂の中でたいまつが振り回される『達陀(だったん)』が行われ、火で清められた水が外に持ち出されて大護摩が始まり、行衆(ぎょうしゅう)が『籠松明(かごだいまつ)』に火を取り、さらにそこから『手松明』に火を取って、一般の方も参加する行列が火と水を運んで行く。鵜の瀬に着き、清められた水を注ぎ込むと、それが地下をくぐって10日かけて奈良に至る。その水をくみ上げるのが、東大寺二月堂のお水取りです」

神宮寺本堂(お水送り堂)

 お水送りについて、伝説があります。
「天平勝宝4(752)年、東大寺大仏が開眼供養された4月の2カ月前から、火と水を使う国家的な祈りが始まりました。その当初、神名帳が読み上げられ、天地四方の神々が招かれたものの、ここの神様である『若狭国彦神』だけが漁に時を忘れて遅刻し、行が終わる1日前にやっと現れた。それで、遅れたお詫びに若狭から清い水を送ると約束なされ、神通力を発揮して水を送った。二月堂では、下の地面がうがち割れて白黒2羽のウが飛び立ち、こんこんと水がわき出てきたという。その場所を囲って建てたのが『若狭井』だとのことです」


お水が送られる鵜の瀬

 お話を伺ううち、水が大切な何かを象徴している気がしてきました。
「そこに気が付いてほしいから、こうした行事が残るんですね。水は生命の源です。本来は奇麗な水も、山に降った雨が一筋の流れを作り、それが集まって渓流となり、やがて大河となって海に注いでいく間に、どれぐらい汚れることか。しかし、海には波があります。あれが悪いものや汚れを洗濯してくれるように感じられます。それが循環して天に昇り、また我々に降り注いでくれるのです」