![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
![]() |
つめ跡を残す民家、よみがえる藍染め。 雪に覆われ、墨絵のようになった由良川。明智光秀の丹波平定以来、城下町として栄えてきた京都府福知山市の歴史は、光秀による築堤や細川忠興(ただおき)による下流の開削、昭和20年代の市街地への本格的築堤や台風13号による大被害など、この由良川の洪水との闘いの歴史でもありました。今回は、そんな由良川とこの地域の人々との歴史がよく分かる、興味深い施設を訪れます。 |
洪水を知る、民家。 <由良川の地図はこちら> | |
由良川は福知山城の足元で直角に折れ、そこに支流の土師(はぜ)川が流れ込んで、“三差路”のようになっています。そこから1km弱下流の川沿いに、趣のある町家を利用して造られた「福知山市治水記念館」。管理を担当している「柳菱(りゅうりょう)クラブ」会長の稲上知(いながみさとる)さんにお話を伺いました。 ![]() |
|
|
|
治水に関する展示と町家や民具などの展示という、二本立ての展示です。民家の生活品が並ぶなか、黒ずんだ線のついたふすまがあります。 「昭和28年の浸水で、この線まで水が上がってきたんです。二階のふすまの下から60cmまで。7m80cmの水位です。その時、私は市役所に勤めていて、早朝から避難所で勤務していました。南方の高台の小学校だったため、水位が上がってくるのは分かったんですが、市街地の浸水状況は分かっていませんでした。昭和30年代に入っても、毎年のように起きた時期がありましたが、床下・床上浸水の状況は28年ほどではありませんでした。平成16年の台風23号では、28年と同じぐらいの水位まで上がったんですが、市が下水道を敷設していたため排水がうまくいき、堤防決壊もなかったので、市街地の被害は比較的少なく済みました」 |
|
「昭和28年当時は今のような情報網がないため、親戚などが伝えてきた『あの辺がああなっている、こうなっている』という情報を自分なりに判断しながら対応しました。平成16年の水害の時には、避難所の設備はかなり出来ていましたが、実際の避難時の対応がまだ十分じゃないことを感じました。最近は、市街地にアパートやマンションがたくさん建っていますけれども、隣同士での昔のような付き合いが全然ないし、誰が住んでいるのか分からんようなところもある。そういうことでは、情報の伝達もしにくいし、避難されても誰か分からんような状態で対応しにくい。このごろ高齢者が多いんで、事前に十分に考えておかないと対応しにくい。とくに病弱な人への配慮、しかも、それは各個人が自分自身で準備しておかないと、他人さんには分からない面があります。避難する時は薬を自分で持っていくことなど、自分の責任で普段から十分考えておかないといかんと思いますね」 |
|
|
|
![]() |
|
|
|
![]() |