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室生川と宇陀川に見る、淀川上流物語。
奈良県宇陀郡室生村には女人高野・室生寺がある。昨年7月、京都の貴船神社を訪れた時、奥宮本殿の下に水の神である龍神の住まい「龍穴」があり、見てはならないものだという話を伺った。今回はまず、ここ室生で「龍穴」を訪ねる。やはり水の神との関わりがあるようだ。



  「龍穴」に水の神が宿る。     <室生川の地図はこちら>
 

室生川

 室生村室生の室生龍穴神社に来た。神社の前の室生川の水は、宇陀川、名張川、木津川を流れ、最後は淀川から大阪湾に注ぐ。室生龍穴神社は、大きな杉の木に囲まれる、こけむした厳粛なたたずまいだ。宮司の中捨征邦(なかすてまさくに)さんに伺った。この神社、いつできたのだろう。
「本殿や拝殿は江戸時代以降だと思います。しかし、奥宮と龍穴への信仰は、平安朝の開祖、桓武天皇が山部王と名乗っていた皇太子時代に病気平癒のご祈とうを奥宮の前で行ったと、古い記録に残っています。また『室生村史』によれば、室生村では2世紀以降に農耕生活が始まったとのこと。耕地の少ない山間の棚田なので農作物のための水が貴重であり、ここが水の神として信仰を集めました。龍穴信仰そのものは、社殿のできた近世よりはるか以前から、この集落を中心にして近畿一円に知られた神様でした。ここは『妙吉祥龍穴』。龍穴の前を流滝(りゅうろう)といって滝のよにな水が流れ出ています。室生には龍穴が他に二つ、室生寺の奥の『持宝吉祥龍穴』と西谷の『沙羅吉祥龍穴』があったようですが、ここの龍穴が一番高所に位置し、そこは水の神が宿る場所として、最も信仰を集めたのではないかと思います」



室生龍穴神社

 本殿の前を流れる川は室生川だろうか。
「本殿の左を流れる谷川が室生川に注ぎ、最後は淀川に合流します。京都の貴船神社も鴨川の源流にあります。古代の人は、源流に水をつかさどる神が宿るとして信仰しました。自然信仰、自然崇拝の一つでしょう」

 室生寺と室生龍穴神社はどんな関係だろう。
「室生龍穴神社は、私の祖父が神職になる以前は神職不在で、室生寺の人的資金的な庇護で維持されてきました。神仏習合といいますが、室生では仏主神従であったと思います。ご造営など、神社の建物の営繕は室生寺の援助で維持されて来ました。お寺と神社が神宮寺と鎮守社の関係にありました。室生寺の堂宇、伽藍を守る伽藍神である善女龍王(ぜんにょりゅうおう)を祭る神社が室生龍穴神社とみて、室生寺は人もお金も出してきたのだと思います」



これが龍穴

  中捨さんは元サラリーマンとのこと。
「大阪で30年サラリーマンをし、その後、禰宜(ねぎ)を務めていました。私の父の死後、28年ほど宮司を務めた叔父が昨年7月のご造営を機に勇退したため、11月、還暦の私が後を継ぎました」
 宮司になり水への思いは強くなったんだろうか。
「私が神職になったからではなく、一般にいって、日本人は生まれた時の産湯、その後の日常生活、そして亡くなる時の末期の水と、必ず水を使う。また、汚れたものは水で洗い流すという生活習慣のなかで、清い水にを憧れ求める気持ちが強いんだと思います」

 


  伝説の井戸がよみがえる。    
 

弘法の井戸
 
 室生川は、県道28号と南北の位置を入れ代わりつつ並行しているが、龍穴神社から1kmほど西に室生寺へ行く太鼓橋がかかっている。その太鼓橋のすぐ下流にある橋のそばに、「弘法の井戸1」と名付けられた井戸がある。室生村には、水不足の地域で弘法大師が錫杖(しゃくじょう)を突くと水がわき出たという、「弘法の七つ井戸」の伝説が残っている。室生村では伝説を後世に伝えるため、一昨年、元の場所ではないが室生地区に井戸を二つ復活させた。この「弘法の井戸1」と「室生公園あさぎりの里」にある「弘法の井戸2」だ。ミラノ在住の彫刻家・長沢英俊さんの作品で、石が積み上げられて真ん中が空洞になっている。現代的なアートと水との組み合わせで、伝説がよみがえったのだ。