大阪市の淀川大堰。穏やかな川面の母なる川「淀川」。
この川が「淀川」と呼ばれるのは、京都府八幡市付近から下流。
上流には桂川、木津川、宇治川が流れ、宇治川は瀬田川、琵琶湖へとつながる。
流域には、大阪、京都、兵庫、滋賀、奈良、三重の2府4県が広がり、
流域人口は1千万人を超え、水の利用者は1400万人にのぼる。


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河川への新しいアプローチ。

日本の近代的治水工事は淀川から始まった。
治水工事を初めて国家事業として行った新淀川開削工事だ。
それから100年あまり。平成9年の河川法改正で、
河川の整備目的に「環境」が加わり、
河川整備計画を策定するために「淀川水系流域委員会」が
設置された。委員による自主運営、事務局の民間委託、
審議プロセス等すべての公開、一般傍聴者からの意見収集など、
従来の委員会とは異なる点が多く、
全国的にも注目されている委員会だ。

その淀川水系流域委員会の委員で、
京都大学名誉教授の今本博健さんに、
いま大きく変わろうとしている淀川の河川行政について伺った。

古びた赤煉瓦の堀のようなものがある。
淀川の遙か昔の土木工事の歴史を感じる。
 「あれは昔の閘門です。淀川は、日本の河川法制定の
 契機となった川ですし、古くは仁徳天皇時代の
 茨田堤(まんだのつづみ)や難波堀江(なにわのほりえ)など、
 河川工事のあけぼのとも言える工事が行われています」
淀川水系流域委員会は、これまでの委員会と何が違うのだろう。
 「これまでは事務局が作った原案に適当に意見を述べ、
 ほぼ所定の成果を引き出すというきらいがありました。
 今回は、委員が私のような他薦も応募もいろいろいて、
 川の委員会でありながら川の専門家が少なく、
 環境問題の研究者やNPO代表などが多いことに驚きました。
 また、いろんな方が議題に関係なく意見を言うので、
 最初は非常に不安でしたが、回を重ねる間に心が通じ、
 中間とりまとめを委員自らが原案から書いていく ことに
 なったときから、委員会や部会の雰囲気が激変しました」

そして、中間とりまとめが出来た。
 「淀川部会では中間とりまとめの原案作成をする
 作業部会を設けました。冗談で『死の作業部会』と
 言われるほど、午前中から休憩なしで
 夜の10時や11時まで作業が続く厳しいものでした。
 しかし、淀川は日本の代表的河川ですから、
 日本のあちこちにある流域委員会の報告より見劣り
 しては、沽券(こけん)に関わるという義務感から
 懸命にやりました。
 流域委員会はすべて公開が原則ですから、
 内容はホームページで公開されています」

もう一つ大切なことは、流域住民の意見を聞く試みだ。
 「最初から多くの方が来ましたが、
 大半がかつて役人だった方やNPO関係者でした。
 一般の方は少なかったと思います。
 委員会が3時間、4時間と長時間で、
 皆さんから意見を聞く時間が5分か10分。
 まだ準備中に発言しなければいけなかったり、
 純粋に一般の方が発言される機会が少なかったりしました。
 ただ、メールや手紙、FAX、電話で意見を送っていただけ、
 それらは文書で委員の皆さんに配られますので、
 大いにご意見をお寄せいただければと思います」

 

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淀川大堰


昔の毛馬の閘門


今本博健さん


ラジオ大阪