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琵琶湖のほとり、大津市北西部の坂本にある日吉大社の境内には、
琵琶湖に水を注ぐ大宮川が流れる。大木がうっそうと茂り、
木漏れ日が輝くここ日吉大社で、湖国三大祭りの一つ、「山王祭」が行われている。

日吉大社の地図はこちらをご覧ください。


第一章

琵琶湖は“川”。
流れ、そして、一つにつながる。


国宝の「西本宮」前を勇ましいかけ声と共に神輿が出発。
白装束の男たちが担ぐ前を、武者姿の男たちが先導する。
沿道にぎっしり並んだ見物に、ぶつかるかのように
ジグザグになりながら、坂を駆け下りていく。
4基は人手で、3基は車に乗せられて、
ともに琵琶湖へと向かっていく。

山王総本宮・権禰宜(ごんねぎ)の井口健さんのお話。
 「『西本宮』は“檜皮(ひわだ)葺き”で、
 ヒノキの皮を使っています。400 年と少し前の天正14年、
 信長の比叡山の焼き討ちの後に建てられました。
 国宝『東本宮』も同じ造り、同じ大きさです。
 建造物では、国宝が2棟、重要文化財が17棟。
 それから、7基あるお神輿が重要文化財です」

次に「山王祭」のことも伺った。
 「簡単に言うと、神様の由緒です。
 神様がここにお静まりになるに際して、
 どういう経路をたどり、どういうことをなさったか
 ということを、お神輿で、お祭りで表現しています。
 『船渡御』では、お神輿が『西本宮』のこの本殿から、
 7基そろって順にお出ましなさいます。
 ずっと下りて琵琶湖へ向かわれる。
 船に乗っていただき琵琶湖へ。そこへ宮司がお供え物を
 積んで別の船で行き、湖上で出会い、祀りごとをします。

 昔、西本宮の神様がこの地にお越しになったとき、
 琵琶湖を渡ってお越しになったという古事があります。
 お神輿がいま通っている道を通られた。そのとき地元の
 漁師に頼んで船に乗せてもらって、
 『私は神である』と言わはった。お供え物がないで、
 持っていた粟のご飯をお供えして、唐崎までお連れした。
 『粟津御供(あわづのごく)』の由来ですね」
日吉大社にとって、琵琶湖は特別な場所のようだ。

 「西本宮の神様が唐崎からお越しになった。だから、
 唐崎は聖地。しかも琵琶湖で清めてからお越しになる。
 唐崎が、清める場所、罪や穢れを祓う場所になったんです。
 そういう場所が、唐崎を起点に大阪湾まで7カ所ある。
 『七瀬の祓』です。琵琶湖は、私どもにとっては“川”。
 命の源でもあるここから流れてく、
 ひとつながりのものなのです。日吉大社は、
 琵琶湖の、淀川の守り神です」

神輿が次々と西本宮の前から
二ノ鳥居まで人力で下りてきた。
神輿をいったん下ろしてトラックに移し替える。
金色の神輿は1トン以上ある。汗だくの担ぎ手たちが
ようやく荷台に乗せる。そして、
トラックは武者姿の男たちとともに
琵琶湖へと向けて出発する。その時、一層、
神輿を振るしぐさをする。激しいかけ声と、
さまざまな装飾の鐘の音が響く。その後ろを、
最初からトラックに乗っている残り3基の神輿が続く。
あわせて7基が、琵琶湖へと進んでいく。

神輿を乗せた車は、琵琶湖岸の「七本柳」へ。
波が打ち寄せ、涼しい風が渡ってくる。
日吉大社独特の鳥居が目につく。
普通の鳥居の一番上に、三角屋根のような形がついている。
その鳥居めがけて神輿が来る。
これから、湖岸の艀(はしけ)まで順に運ばれ、
積み込まれていく。もう一度、神輿を威勢よく振る。
重そうで、みんな汗だくだが、ぐるっと方向転換して
艀へと向かって行く。鳥居をくぐるとき、
もう一度大きく神輿を振る。
そして、ゆっくりと艀へと向かって行く。

「山王総本宮 日吉大社」
滋賀県大津市坂本5-1-1
TEL.077-578-0009

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勇ましい神輿

 勇ましい神輿

 

国宝・西本宮

  国宝・西本宮

 

井口健さん

山王総本宮・権禰宜(ごんねぎ)井口健さん

 

日吉大社独特の鳥居

  日吉大社独特の鳥居



ラジオ大阪