<由良川の地図はこちら>



綾部井堰の恵み。


由良川の綾部井堰の近く、用水路への取水口の際に来た。
綾部井堰は、由良川の水を農業用水として取り、
川と平行に18キロにわたり、左岸の綾部市と福知山市の
230ヘクタールもの田畑を潤している。綾部井堰と用水路について、

綾部史談会・会長の山崎巌さんに伺った。
目前の綾部井堰は、緩やかな階段状だ。
 「綾部市青野町ですので、地元では通称『青野井堰』と
 言うとります。井堰の歴史は諸説ありますが、『丹波志』に
 『綾部井堰は明智氏を始めとする』という記録が一行あります。
 光秀は、丹波二九万石を信長からもろうてる。
 十何キロの井堰を造るためには、何万人という労働力と、
 そのために農民を徴発する資金力がいる。
 それほどの権力を持つのは誰かっちゅうことになるんです」

400年あまり前、光秀が造ったのではお考えのようだ。
 「井堰で稲作が発達しました。青野から土村まで続いとんですが、
 井堰の水で稲作が行われて、流域12集落が出来て
 いったんやと思います」

水が豊かな故の水争いはなかったのだろうか。
 「血なまぐさい争いが、上流と下流でありました。
 ちらちら記録が出てきます。しばしば京都奉行所へ
 訴訟していますし、また文化年間には、井堰が壊れたときの
 負担や人夫を出すのはかなわんと、下の方が脱退するっ
 ちゅうこともありました。また、この前、青野のおじいさん
 に聞いたら、若い当時は夜に井堰に材木を入れ、
 水位を上げて自分の田んぼに水を引いたそうです。
 そしたら下は水が足らんようになるもんで、
 夜に下のもんがカマを持って見張りに来よったちゅうことです」

綾部用水に沿って、車で4、5分移動した。
用水路がグンゼの工場地帯に入っていっている。
 「ここからグンゼの敷地の中を通り、向こうの大塚の方へ
 出ます。左側の記念館や博物苑は、平成8年のグンゼ創立
 100周年の時、郡是製糸いうた時代の繭倉庫の外装を、
 そのまま残して造ったものです。

製糸にも、由良川の恵みはあったのだろうか。
 「水が製糸に大事やっちゅうことは常識ですが、由良川は、
 水量があり、軟水のため、繭の糸を解くのに非常に具合がいいと。
 青野井堰の水がグンゼの用水として大量に使われたということは、
 水が製糸業の技術的な面でも適しとったんやと思えるわけです。
 本来、綾部井堰は灌漑用水ですが、近代に入り、綾部唯一の
 大企業に成長したグンゼや神栄の製糸業にも役立ったことは、
 うれしい結果やと思います」
 


<前のページに戻る>



山崎巌さん


向こうの由良川から水を引いている手前の綾部用水


グンゼ記念館


綾部に繁栄をもたらせた綾部用水


 2002 April All right reserved.