今回は、川ではなく、大阪ビジネスパークに来た。11月18日の「土木の日」にちなみ、
MIDシアターでシンポジウム「吉野川第十堰問題を考える」が開催されている。
この吉野川とは、奈良県ではなく四国の吉野川だ。利根川の坂東太郎、筑後川の筑紫次郎に対し、
四国三郎と呼ばれた暴れ川。愛媛県と高知県の県境、石鎚山を源に、
高知県の山間部を通り徳島に至る総延長194キロ、流域面積が四国の20%に達する日本有数の川だ。

 

 

       <吉野川の地図はこちら>


2時間以上にわたる議論。

かつて吉野川の下流域は、肥沃な土の豊かな農地が広がっていた。
江戸時代、吉野川の水を徳島城の堀に引き込むためと、
上流へ船が行きやすくするために、水道を掘った。
だが、水道の土地が低く、水が流れ込んで現在の吉野川の
本流ができてしまい、本来の吉野川の水が減ったので、
第十村に堰を造って本来の吉野川に水を導いた。これが第十堰だ。
建設は1752年。青石が石畳状態に積み上げられ、
流れに対して斜めになった二段構えだ。
ここに旧建設省が可動堰を造ろうとしたが、
3年前の住民投票では反対の意思が出た。
しかし、現在の堰は、老朽化や川の水で川底がえぐられている こと、
斜めに二段構えとなっている形など、治水上の問題があるという。
シンポジウムは、大阪の「水工技術研究会」主催。
第1部は、その会長でもある今本さんの基調講演と
姫野さんの経過報告。第2部では、4名の議論が2時間以上に
わたって展開された。大まかに言うと、可動堰はいらない、
補修で十分という姫野さんに対し、今本さんが河川工学の
立場から疑問を提起した構図となった。
印象に残った発言を紹介すると…

姫野 今、川への関わり方自体が問われていると思います。
   第十堰を地元では「第十のお堰」や「お堰」
と呼び、
   親の世代なら戦争に招集されると見納めに行った。
   県外に就職するときも、家族で第十堰を見て、
   水音を聞いて出て行った。利水施設という言葉では
   くくれない存在です。
    「吉野川みんなの会」

大熊
 昔、堰を造った石や木はばかに出来ないと思います。
   ローテクの最たるものですが、人類が何十万年も
   付き合ってきた素材。コンクリートやガラスは、
   せいぜい100年です。いい石は5000年たっても
   風化しないし、木材も水中や空中なら結構もちます。

宮村
 川が不幸だったのは、そこらじゅうで砂利採取された
   ことです。例えば、神奈川県の相模川は、川の状態が
   全く変わって、河川史の概念で捕らえることが出来に
   くくなってしまいました。第十堰もやっぱり同じかと
   いう感じがしました。吉野川の砂利採取が気になっていました。

今本 河川は転換期を迎えています。ダムや堰のお陰で、
   これだけの生活が実現した一方、環境面では、
   このままほっておくと由々しき事態になる。治水面では、
   これだけ努力したのに水害は一向になくならない。
   水資源開発もいつまでも続けられない。これまでの川の
   整備の延長線では行き詰まります。今、変えなければと
   思っています。今日は吉野川がテーマですが、日本の
   川づくりが変わるきっかけになればと思っています。


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