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豊かな川が、アユを育てる。

ヤナ漁保存会の発起人のお一人で、
川に詳しい御勢久右衛門さんに伺った。
この辺りのヤナ漁は歴史が古いようだ。
 「日本最古の史書・日本書紀と古事記に、
 神武天皇が大和の吉野川を上った時、
 人々がヤナで魚を捕っている風景を見たという記載があります。
 この辺りは吉野なので軍書に関する史書が多く、
 
ヤナなどの漁に関する話は出てきませんが、その後も
 ヤナ漁は続いていたと思います。今でも吉野川の流域には、
 梁瀬(やなせ)、梁跡(やなあと)、梁場(やなば)と
 いった地名が、たくさん残っています。
 傾斜がきつく、川が曲がっているため、ヤナの設置をしやすく、
 魚の栄養になる水あかが多い吉野川では、
 いいアユ(サクラアユ)がたくさん捕れます。
 秋になって日が短くなると、産卵のために下ってくるアユを
 一網打尽に捕るのがヤナ漁なんです。
 かつて、この川辺は竹やぶで、洪水でも人家が流れない
 ようにしていた。その竹を切って並べてアユを捕ったわけです。
 吉野川は栄養が豊かな川で、魚を育てる力が大変に強く、
 世界でも数少ない豊かな川の一つです」
アユ漁の方法は他にもあったのだろうか。
 「たくさんありました。昔、渡し船の船頭さんが、
 渡しの合間に『マキカワ漁』でアユを捕っていました。
 船に拳ぐらいの石を100ぐらい入れて、5人乗る。
 船頭さん以外の4人が、石を投げ入れてアユを追い詰めていき、
 そこに船頭さんが網をまくわけです。吉野川だけに
 しかない漁法です。ほかにも、網を張っておき、たいまつを 燃
 やして船でアユを追っていく『火振り漁』など、いろいろありました」


五條市に吉野川を訪ねた。
かつて先人たちが始めたヤナ漁がよみがえり、
吉野川の未来につながっていく。
地元の方々の思いも伺い、胸がいっぱいになった。


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奈良産業大学名誉教授 御勢久右衛門さん と一緒に


ヤナにかかったアユ


ぷりぷりのアユ


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