源流から河口まで
大和川をたどるぶらり旅
〜ニューイヤースペシャル・おもいっきり大和川〜
2007年1月6日16:30-17:30放送

奈良県桜井市、大和川の源流にある初瀬(はせ)ダムのダム湖「まほろば湖」に来ています。広いです!この辺りに来ると、地元の方は大和川本流のことを「初瀬(はせ)川」と呼ぶそうです。今回は1時間のスペシャルバージョン。普段の放送と違い、大和川本流を中心に源流域から河口まで、ぶらり旅気分で訪ねます。何をリポートするか全然決めていないので、ハプニングやサプライズがあるかもしれません!

<PART 1>

水源の山から川を下り
弥生時代の大和川も垣間見る

 初瀬ダムを出発して、初瀬川の側にある長谷寺へ。何百段もある登廊(のぼりろう)を上り、今、断崖絶壁に懸かる舞台造りの上から絶景を眺めています。お寺は、周りが山に囲まれていますので、ここの山にしみ込んだ水が大和川の水源になっているのは間違いありません。長谷寺は「花のみてら」として大変有名で、桜、ボタン、紅葉など、四季折々の自然が楽しめます。では、ご家族連れの方にお話を伺ってみましょう。

 こんにちは。今日はなぜ長谷寺へ?
女性1 三重県から三十三番の札所巡りで来ました。若い頃には、ボタンの季節に来たこともあります。
 その時も、今日と同じようにだんな様とですか?
女性1 そうです。今日は孫も連れてきました。

 女性3人組の方に伺います。ご近所の方ですか?
女性2 いえ。山を歩くグループです。
 ここはウォーキングコースとして、いかがですか?
女性2 いいですね、階段もあって。景色もボタンやアジサイ、紅葉の時期とかいろいろありますからね。

        * * *

 長谷寺の門前の草餅が有名ということで、その内の一軒、創業50年以上の「寿屋(ことぶきや)」さんを訪ねました。二代目ご主人の増田一男さんにお話を伺います。

 草餅のヨモギは、どこからとって来られるんですか。
増田 地元で摘んで頂いているんですよ。特に山間部、初瀬川のほとりの土手とか田んぼのあぜとか。
 初瀬川とは、昔からずっと馴染みの深い生活を?
増田 子供の時は、泳いだり、網でジャコをすくったり、父親と竹竿でアユ釣りをした思い出もあります。
 では、餅米と草のいい香りがする草餅を頂いてみます。・・・やわらかい!あんこも甘過ぎないですね。
増田 これが自然のヨモギのお団子のお味なんです。

      
* * *

 長谷寺から初瀬川を6q程下り、「金屋(かなや)河川敷公園」に来ました。この辺りは、昔、遣隋使が船で帰国した所。仏教伝来の地でもあります。山辺の道、難波に通じる道などが交差する交通の要衝で、日本で最初の市(いち)と言われる「海柘榴市(つばいち)」が開かれていたということで、以前取材でも来ました。石畳の道や芝生のスペースがあり、川には鳥もたくさん見えます。若者の集団がいますね。

  何をされているのでしょうか?
男子学生 大学の書道部の活動の一環で、「拓本」をとってるんです。拓本とは、岩に彫り込まれた昔の人の言葉などを、紙に写し取る作業のことです。
 十円玉の上に紙をひいて、鉛筆でこするみたいな感じですね。部員の皆さんで、この河川敷にある歌碑を拓本していたんですね。ところで、前を大和川が流れていますが、大和川ってどんなイメージがありますか?
男子学生 あんまり奇麗じゃないイメージが…でも、目の前の川を見てると、違いますね。鳥も来てますし。




  ワンちゃんとお散歩中の男性がいらっしゃいます。こんにちは!この公園、奇麗に整備されてますよね。

男性 みんながいつも掃除してますのでね。
 昔、大和川で遊んだ思い出などはありますか?
男性 もっと深かったから泳げたんですよ。今は浅いし、生活排水がようけ入って来て、水が汚いですわ。
 昔はもっと奇麗だったと。取り戻したいですね。
男性 そうですね。

        * * *

 田原本町(たわらもとちょう)の東部には、大和川とその支流の寺川がほぼ平行に流れています。大和川と寺川の中間にある「唐古・鍵 考古学ミュージアム」に来ました。たくさんの土器など、唐古・鍵遺跡の出土品が展示されています。 学芸員の藤田三郎さんに伺います。

  唐古・鍵遺跡とはどんな遺跡ですか?
藤田 約2000年前の弥生時代、お米作りが日本で始まった時代の集落遺跡です。奈良盆地のほぼ中央部にあった、日本で5本の指に入る大集落跡です。今の地名でいうと奈良県磯城郡田原本町大字唐古と、大字鍵の二つの集落にまたがっている遺跡です。
 日本全国で、ここにしかないものもあると。
藤田 発掘調査の中でも大きな発見は、土器に「楼閣」の絵を描いたものです。楼閣は今で言う神殿みたいな建物。弥生時代は農村という牧歌的なイメージがありましたが、もっと大きな都市のような集落があったんだという考え方のきっかけになった土器です。
 大和川に関係する何かが発掘されたことは?
藤田 舟を漕いでいる絵のある土器がたくさん出ています。今の東大阪辺りに広がる河内湖から、川舟で大和川をさかのぼり、この唐古までやってきたと想像されます。だから、弥生時代のこの辺りは、港のある物資の流通センター的な側面もあったと思われます。

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 先程お話に出てきた楼閣が復元されている唐古・鍵遺跡の中心地、「唐古池」にやって来ました。楼閣は高床で、茅葺きの屋根が2層に分かれています。開け閉めできる窓もあります。鳥の模型と神聖な渦巻きの飾り付けが、大小たくさん取り付けられて、こんなデザインが弥生時代に存在したなんて驚きです!

       * * *

 田原本町を出て、天理市、川西町、大和郡山市、安堵町を経て河合町へ。大和川を境に、北は斑鳩町です。今、河合町大輪田にある「大城橋(おおしろばし)」にいます。この橋は潜水橋で、水が増えると、なんと沈んでしまうんです。コンクリート製で幅は2m程。狭くて欄干もないのに、地元の方は車でも余裕で通っていますね。


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