●西区の歴史
豊臣秀吉が大坂城を築いて以来、低湿地であった西区付近では、堀を次々と開削して運河を造り、堀り上げた土を低い土地に盛り上げて町をつくっていきました。そうして、次第に水の都・大阪の姿ができました。川の沿岸に諸藩の蔵屋敷が設置されるようになると、蔵米や国の物産を扱う問屋もその周辺に集まるようになり、川口の船の出入りは大いに盛んであったと言われ、商業地帯として発展してきました。また、西区では数多くの有名な文化人が生まれ、奇遇した文化の町でもありました。 明治元年に大阪が開港すると、幕府は川口外国人居留地をつくり、多くの外国人がそこに居住しました。これによって、西区は大阪の西洋文化の発祥地となりました。また、江之子島に大阪府庁や大阪市庁が設置され、行政の中心にもなりました。
●現在の西区
北部は肥後橋を中心としたオフィス街、南部は家具の街・立花通商店街や若者が集まる堀江、中部は工具の街・立売堀(いたちぼり)、西部は東西1kmに及ぶ九条商店街を中心とした庶民感覚の溢れた町で、京セラドーム大阪一帯の施設との相乗効果もあり活気があります。
●区民センターへ、気楽に立ち寄って!
『西区コミュニティ協会』の事務所がある西区民センターは、誰でも気軽に入ることができて、「非常に開放的で親しみやすい雰囲気がある」と言っていただいています。他の区の団体の動き、区の情報、イベントの開催方法など、地域のみなさんから生きた情報が入ってきます。また、井戸端会議的な身近な面白い話もよくされています。基本的には何事にも垣根を設けず、幅広い分野でいろいろなものを受け入れるようにしています。NPO法人や地域団体のPRコーナーを利用している方も大変多いです。
●地域のためにできること
『パワーステージ』というイベントを、西区民センターで年1回開催しています(今年で4回目になります)。西区民センターで開催されるステージイベントで、音響や照明などを担当する20代のボランティアグループである『ステージソリューション』が主体となって、企画、運営、広報、舞台設定などを行っています。高校生のバンドライブをメインに、アマチュアからプロまで、毎年約150人の参加があります。西区は、若い人も地域への帰属性がとても強くて、「地域のために何かしよう」「地域を盛り上げるためにできることをしよう」と考えてくれる人が多いと感じています。
●“交流スペース”
現在、24区すべてのコミュニティ協会に“交流スペース”がありますが、実はその発祥は『西区コミュニティ協会』です。そこでは例えば、『パソコン入門講座』などの生徒として参加されていた会員の方が講師になって運営している『水曜勉強会』や、“交流スペース”を通じて知り合った人たちが集うサロン『木曜倶楽部』などがあります。火曜日と金曜日に開催されている『パソコン入門講座』では、年間1800人以上の方が受講しています。
●コミュニティグループ助成事業
2008年からの新規事業として、『グルサポ』を立ち上げます。テーマを持ち独自に活動しながら、まちづくりに興味を持ち積極的に参加していただけるアマチュアグループに対して、西区民センターの優先利用、活動費の助成、イベント(募集告知など)の協力など、『西区コミュニティ協会』がトータルにサポートします。年間で3団体を募集しますので、お気軽にお問い合わせください。
●西区の歴史ガイド
“藤原宏美の大阪知りつくし24(トゥエンティフォー)”では、各区の魅力的なスポットを実際に案内していただきます。『西区コミュニティ協会』では毎年秋に、“見る!聞く!西区の歴史”というキャッチフレーズのもと、『わがまちウォーキング』を開催しています。今回は、その案内役をされている郷土史研究家の竹田政廣(たけだ まさひろ)さんにおススメのスポットを案内していただきます。
●竹林寺(ちくりんじ)
竹田さん「竹林寺は非常に古いお寺です。昔、三股の竹が生えていて、そこに仏さんが生まれてきたという言い伝えが残っています。また、病気で亡くなられた朝鮮通信使の方がここに祀られているのですが、亡くなる間際に「国に置いてきた子どもの顔が見たい」と言っていたのをご住職が聞いて哀れに思われ、近くに住む子どもを連れてきて「お父さん、来たよ」と言わせてなぐさめたという話が有名です。満足されて亡くなられたということです」
●土佐稲荷神社(とさいなりじんじゃ)
竹田さん「江戸時代、この一画が土佐藩の蔵屋敷で、一万坪近くあったようです。土佐稲荷神社は蔵屋敷の鎮守の神様として、伏見稲荷の稲荷神を分祀して祀っています。大阪市立中央図書館、西区民センター、こども文化センターなどこの一帯の施設は、すべて蔵屋敷の跡にあります。廃藩置県で蔵屋敷がなくなってから、岩崎弥太郎(いわさき やたろう)がここで商売を始めました。藩からもらった三隻の船を使って、海運業を始めたのです。つまり、三菱の発祥の地ということになります。その証拠に、神社の紋章の中には三菱のマークが入っています」
●“阿弥陀池(あみだいけ)”こと和光寺(わこうじ)
竹田さん「和光寺は俗称で“阿弥陀池”と呼ばれ、親しまれています。ここにある池は、元々はもう少し大きかったのですが、今は小さくなっています。池の横の碑には、昔、信濃国の国司の本田善光(ほんだ ぜんこう)という方がここを通りかかった時に「善光、善光」と名前を呼ぶのが聞こえるので、ふと池の中を見ると、金像の仏さまが2体出てきたそうです。その仏像を祀った場所が、信州にある善光寺の始まりだという謂れが彫られていますが、この話はあくまでもロマンです」
<お問い合わせ> 西区コミュニティ協会 TEL 06-6531-1400
http://www.osakacommunity.jp/nishi/
|
|
|