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2007年12月29(土)放送
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大阪に時を告げる鐘の音を
地域で守り、伝える
〜『大坂町中時報鐘顕彰保存会』〜

今回は、『大坂町中時報鐘(おおさかまちじゅうじほうしょう)顕彰保存会』をご紹介します。地下鉄天満橋駅の近くに、“時の鐘”と呼ばれる古い鐘があるのをご存知でしょうか。実はその鐘は、大阪市中央区釣鐘町(つりがねちょう)の地名の由来となった鐘なのだそうです。『大坂町中時報鐘顕彰保存会』運営委員長の山田利彦(やまだ としひこ)さんにお話を伺います。

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●“時の鐘”を訪ねて

“時の鐘”は、大阪法務局のある谷町筋から西へ約300m入った場所にあります。五つの輪でできた大きな屋根の下に、鐘が吊り下げられていて、高さ1.9m、直径1.1m、重さ3トンあります。鐘楼の中央には、空に向かって突き出すような形で柱がのびています。


●「時を告げる鐘を造ろう」

1634(寛永11)年、徳川三代将軍・家光が京都に上洛した際、大坂城にも訪れました。大坂三郷の惣年寄らが盛大に出迎えて、3樽の鰹節を献上すると、城中に召されたうえ、大坂町中の地子銀(じしぎん)を永久に免除すると言われたそうです。地子銀とは今で言う固定資産税のようなもののことです。当時の家光は人気が低迷していたため、上洛する途中の土地土地で税金免除を行って人気回復を図っていました。大坂の人々はこれを大変喜び、「永くこの恩を忘れないように、時を告げる鐘を造ろう」ということになったのだそうです。近松門左衛門の名作『曾根崎心中』に登場する鐘の音も、この鐘だと言われています。


●“時の鐘”の里帰り

もともとは今の場所より東に50mから100mの所にあったとされています。1870(明治3)年、明治政府によって“時の鐘”は廃止され、現在の場所から200m離れた長光寺に預けられました。1872(明治5)年には、すぐ隣の石町(こくまち)2丁目にあった江畔小学校に移動され、1926(大正15)年、大阪府庁が新築された際、屋上に鐘楼が建てられて移動しました。1970(昭和45)年、大阪府有形文化財工芸品の第1号に指定され、1985(昭和60)年に、現在の場所に里帰りしてきました。それまでに4度の火災に遭っていますが、幸いなことに鐘は無事でした。


●鐘を守る会

約22年前、地域の人が中心となって、「由緒のある大事な鐘なので鐘楼を建てて、吊るしておくだけでは意味がない。鐘を守っていく会が必要ではないか」ということで、保存会を作りました。初代・運営委員長は、同じ釣鐘町にある珈琲屋店主の橋さんでした。私は2代目で、約12年前に引き継ぎました。


●『大坂町中時報鐘顕彰保存会』の活動

釣鐘町の1丁目と2丁目の保存会婦人部で、週に1回ずつ、釣鐘のまわりなどを清掃してもらっています。会の運営は、中大江校下の町会長を中心とした人たちで行っています。


●現在の鐘楼

鐘楼の五つの輪は、4度の火災をくぐり抜けてきて「5度目に鐘楼に帰った」という意味と、自主、自立、自由、活力、創造という大坂の町人の精神を表現して作られています。中央に高くのびている柱は、時計の長針と短針を表現しています。「一からスタートしよう」という気持ちを込めて、時計の針を0時に合わせたような形になっているわけです。


●時の鐘と除夜の鐘

普段は、コンピュータ制御で午前8時、正午、日没時間の1日3回、金属の先に木をつけた撞木(しゅもく)で鐘を撞いています。また、見学はいつでもできます。大晦日の夜だけは、シュロの木を削って作った撞木に付け替えて、来られた方全員に撞いてもらっています。当日は“除夜の鐘”の行事として、年越し蕎麦やコーヒーも振舞っています。




<お問い合わせ>
TEL  06-6943-1571(山田薬品株式会社)



運営委員長
山田利彦さん



“時の鐘”


現在の鐘楼


シュロの木を削って作った撞木




● 取材を終えて、感じたこと

時間は時計で知るどころか、携帯電話のデジタル時計で確認することも多い今日この頃、時を知らせてくれる鐘の存在は貴重に思います。
さすがに現在は、この鐘の音で住民の生活がまわっているとは思えませんが、当時の人たちにとっては生活リズムをはかる重要な存在だったことでしょう。
6月10日の時の記念日には、餅つきや餅まきのイベントがあるようです。時間の大切さを再確認する日となりそうですね。




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