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毎回、大阪を拠点に活動しているNPO法人やNGO、ボランティア団体、そして大阪のいろいろな地域で活躍している方やその地域の活動内容を通して、大阪の「ひと」や「まち」の魅力を発見していきます。
たくさんの人に知ってほしい大阪を魅力いっぱい、情報満載でご紹介していきますので、みなさんご期待ください。

2007年11月3(土)放送
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戦前の堀江が見えてくる!?
『堀江戦前住宅地図』を片手に堀江散歩
〜NPO法人『なにわ堀江1500』〜

今回は、2005/8/20の放送でご紹介したNPO法人『なにわ堀江1500』を、再度ご紹介します。NPO法人『なにわ堀江1500』は、大阪市西区の堀江地区(北堀江・南堀江)を舞台に、まちづくりや町の“再発見”などを行っている団体ですが、今回、堀江が空襲で焼け野原になってしまう前の様子を再現した『なつかしの昭和 堀江戦前住宅地図』を作成・出版したことで、話題になっています。NPO法人『なにわ堀江1500』代表理事の水知悠之介(みっとも ゆうのすけ)さんにお話を伺います。

★上のボタンを押して、放送を聴いてくださいね!


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●戦前の堀江を地図で再現!

『なつかしの昭和 堀江戦前住宅地図』の2ページ目には、“HORIPPLE(ホリップル)”という戦前の堀江の全体地図があります。四方を川に囲まれた堀江の中央に、堀江川が東西に流れ、町が北堀江と南堀江に分かれています。また戦前、堀江の中心は白髪橋(しらがばし)の市電通りで、町は東と西にも分かれていました。


●職種による色地図の誕生

当時の地図上で職種別に色分けしていたら、たまたま、ある色地図が浮かび上がってきました。現在も知られる“家具の町”の他、堀江遊郭の花街(かがい)、“廻船問屋の町”、“運輸・倉庫の町”、“木材の町”など、基本的に同業者が同じ地域に集まって、町を形成していたという、戦前の様子が分かったのです。


●『堀江戦前住宅地図』ができるまで

1911(明治44)年に刊行された大阪市地籍地図に、1937(昭和12)年の電話帳から堀江地区の氏名と職業をプロットしていきました。もともと2140軒、この1年間で聞き取り調査をしたデータが別に約1000軒あります。1940(昭和15)年、堀江には約6000世帯、32000人が住んでいましたので、その約半分の住所と職業が特定できたことになります。


●お年寄りの方の協力

『なつかしの昭和 堀江戦前住宅地図』は、昭和15年当時の堀江の様子を知っている地域のお年寄りの協力がなければ作ることができませんでした。70歳代から最高齢の92歳の方まで、3人以上による話し合いを、24回行いました。


●戦前の堀江案内

地下鉄四つ橋線・四ツ橋駅から四ツ橋筋を西へ入ったところに来ました。ここには当時、『東條病院』がありました。約30年前に名称変更され、現在は『北堀江病院』になっていますが、正面の門構えは、1929(昭和4)年に建てられた当時のまま残してあります。よく見ると、崩れそうなところもあるので、拭きつけをしてあります。『北堀江病院』から西へ向かうと、かつて、堀江の花街だった地域になります。過去に浄瑠璃は2度ほど廃れましたが、そのたびに花街であった堀江で再興されているため、ここは“浄瑠璃のふるさと”と呼ばれています。


●『堀江戦前住宅地図』の発起人

『中川商店』は戦後に建て直された建物ですが、1868(明治元)年創業の由緒ある酒屋さんです。この店の三代目・中川伊兵衛(なかがわ いへい)さんが、実は『堀江戦前住宅地図』の発起人でしたが、地図の完成までに3年かかり、その間に亡くなられました。現在、店はお酒も扱うコンビニに模様替えしていますが、お酒の樽をイメージした大きな看板は残っています。天国の中川さんが、時代の流れに対して微かな抵抗をされているように感じます。


●木の香りと面影を残して

長堀通と四ツ橋通がちょうど交差する付近に来ました。以前は、南堀江の“家具屋通り”に対して、北堀江の“木材通り”と言われていました。現在も営業している木材商は僅かに2軒だけですが、この周辺のお洒落な飲食店では、壁一面に木材を使ったデザインを取り入れるなど、“木材の町”を意識した店が多いように感じます。これからもずっと木の香りと面影を、残してほしいと思っています。





<お問い合わせ>
NPO法人『なにわ堀江1500』
TEL&FAX 06-6533-1550
http://www.1500.jp




NPO法人『なにわ堀江1500』代表理事
水知悠之介さん



『なつかしの昭和 堀江戦前住宅地図』


『東條病院』
(現在の『北堀江病院』)の門


『中川商店』とその看板


現在も残る木材店




● 取材を終えて、感じたこと

お年寄りのみなさんの記憶を頼りに作られた『なつかしの昭和 堀江戦前住宅地図』は、当時住んでおられた方や思い出のある方にはたまらない地図でしょう。「家族の墓前に供えた」という方や、「お母さんが堀江の花街で芸者をしていた」という方などから、感謝のお便りも続々と届いているそうです。
作るにあたっては、細かい作業の積み重ねで大変な日々だったでしょう。喜びの反響が続々とあって、良かったですね。おかげで私も楽しい街歩きとなりました。




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