●戦前の堀江を地図で再現!
『なつかしの昭和 堀江戦前住宅地図』の2ページ目には、“HORIPPLE(ホリップル)”という戦前の堀江の全体地図があります。四方を川に囲まれた堀江の中央に、堀江川が東西に流れ、町が北堀江と南堀江に分かれています。また戦前、堀江の中心は白髪橋(しらがばし)の市電通りで、町は東と西にも分かれていました。
●職種による色地図の誕生
当時の地図上で職種別に色分けしていたら、たまたま、ある色地図が浮かび上がってきました。現在も知られる“家具の町”の他、堀江遊郭の花街(かがい)、“廻船問屋の町”、“運輸・倉庫の町”、“木材の町”など、基本的に同業者が同じ地域に集まって、町を形成していたという、戦前の様子が分かったのです。
●『堀江戦前住宅地図』ができるまで
1911(明治44)年に刊行された大阪市地籍地図に、1937(昭和12)年の電話帳から堀江地区の氏名と職業をプロットしていきました。もともと2140軒、この1年間で聞き取り調査をしたデータが別に約1000軒あります。1940(昭和15)年、堀江には約6000世帯、32000人が住んでいましたので、その約半分の住所と職業が特定できたことになります。
●お年寄りの方の協力
『なつかしの昭和 堀江戦前住宅地図』は、昭和15年当時の堀江の様子を知っている地域のお年寄りの協力がなければ作ることができませんでした。70歳代から最高齢の92歳の方まで、3人以上による話し合いを、24回行いました。
●戦前の堀江案内
地下鉄四つ橋線・四ツ橋駅から四ツ橋筋を西へ入ったところに来ました。ここには当時、『東條病院』がありました。約30年前に名称変更され、現在は『北堀江病院』になっていますが、正面の門構えは、1929(昭和4)年に建てられた当時のまま残してあります。よく見ると、崩れそうなところもあるので、拭きつけをしてあります。『北堀江病院』から西へ向かうと、かつて、堀江の花街だった地域になります。過去に浄瑠璃は2度ほど廃れましたが、そのたびに花街であった堀江で再興されているため、ここは“浄瑠璃のふるさと”と呼ばれています。
●『堀江戦前住宅地図』の発起人
『中川商店』は戦後に建て直された建物ですが、1868(明治元)年創業の由緒ある酒屋さんです。この店の三代目・中川伊兵衛(なかがわ いへい)さんが、実は『堀江戦前住宅地図』の発起人でしたが、地図の完成までに3年かかり、その間に亡くなられました。現在、店はお酒も扱うコンビニに模様替えしていますが、お酒の樽をイメージした大きな看板は残っています。天国の中川さんが、時代の流れに対して微かな抵抗をされているように感じます。
●木の香りと面影を残して
長堀通と四ツ橋通がちょうど交差する付近に来ました。以前は、南堀江の“家具屋通り”に対して、北堀江の“木材通り”と言われていました。現在も営業している木材商は僅かに2軒だけですが、この周辺のお洒落な飲食店では、壁一面に木材を使ったデザインを取り入れるなど、“木材の町”を意識した店が多いように感じます。これからもずっと木の香りと面影を、残してほしいと思っています。
<お問い合わせ>
NPO法人『なにわ堀江1500』
TEL&FAX 06-6533-1550
http://www.1500.jp
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