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毎回、大阪を拠点に活動しているNPO法人やNGO、ボランティア団体、そして大阪のいろいろな地域で活躍している方やその地域の活動内容を通して、大阪の「ひと」や「まち」の魅力を発見していきます。
たくさんの人に知ってほしい大阪を魅力いっぱい、情報満載でご紹介していきますので、みなさんご期待ください。

2007年9月15(土)放送
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藤原宏美の大阪知りつくし24(トゥエンティフォー)第8回

淀川の自然と歴史を背景に
文化とスポーツの地域コミュニティ活動
〜東淀川区と財団法人
『東淀川区コミュニティ協会』〜

今回は、大阪24区の一つ一つの区にスポットを当て、その区の魅力を紹介するシリーズ“藤原宏美の大阪知りつくし24(トゥエンティフォー)”第8弾、東淀川区と財団法人『東淀川区コミュニティ協会』をご紹介します。南の淀川、北の神崎川、安威(あい)川と3本の川に挟まれた東淀川区は、淡路商店街など人情味あふれる下町の雰囲気を残している地域です。『東淀川区コミュニティ協会』の仲川豊(なかがわ ゆたか)さんにお話を伺い、まちの魅力をたっぷり紹介していただきます。

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●東淀川区民会館

東淀川区民会館の建物は平成10年の1月にオープンしました。1階が東淀川屋内プール、2階が東淀川トレーニングルーム、3階が東淀川図書館、4階が『東淀川区コミュニティ協会』の管理している東淀川区民会館で、会議室が2部屋、和室が3部屋、洋室が1部屋あります。現在は、大道芸、マジック、人形劇、パソコンなどのグループが活動していて、『東淀川区民まつり』や『東淀川区民文化のつどい』などのイベントへ参加、出演しています。『東淀川区コミュニティ協会』は、自主的なボランティアが集まるグループづくりと、地域のさまざまな場で活躍してもらうための環境づくりなどを応援しています。


●大阪市を流れる大自然・淀川

淀川の河川敷では、自然に親しんでいる人や、ウォーキングやジョギングをしている人がたくさんいらっしゃいます。『東淀川区コミュニティ協会』でも河川敷を利用して、毎年2月、『こどもたこあげ大会』や『東淀川区健康マラソン大会』を開催しています。


●『東淀川区民まつり』

今年で33回目を迎える『東淀川区民まつり』は、東淀川区役所前の“こぶし通り”とその周辺の広場で開催します。毎年約5万人が集まる、大阪市内でも特に人気がある区民まつりです。メインは、東淀川区の花・こぶしの木が街路樹として並ぶ“こぶし通り”でのパレードと民踊総踊りで、“ミニ版・御堂筋パレード”として人気があります。総パレードの前にアトラクションとして、ブラジルのサンバ、韓国の伝統芸能や、大阪経済大学吹奏楽部の演奏が本部・区役所前で行われます。パレードには各連合町会による神輿パレードなど、約30団体が参加して、“こぶし通り約200メートルを往復します。


●人気の講習会

日頃から、たくさんの講習会を開催しております。受講料も安いので、大変人気があります。特に、気功やストレッチなどスポーツ関係の教室が人気です。


●学習の場と地域コミュニティ活動

区内の大阪経済大学や大阪成蹊大学と連携して、“学習の場づくり”を進めていきたいと考えています。今年の『東淀川区民まつり』では、大阪経済大学からエコ関係のブースを出してもらう予定です。また、区内の各地域で開催される『地域ゆめまち会議』などのワークショップを通じて、住民のニーズを知り、地域コミュニティ活動に寄与していきたいと思っています。


●東淀川区の歴史散歩

“藤原宏美の大阪知りつくし24(トゥエンティフォー)”では、各区の魅力的なスポットを実際に案内していただきます。今回は、東淀川区の歴史的な名所を、『東淀川区コミュニティ協会』の工藤麻紀(くどう まき)さんに案内していただきました。


●“平田(へいた)の渡し跡”

昔、ここには渡しがありました。現在、大阪市で運営している渡船場は8ヶ所ですが、かつて淀川には古くから渡しが発達し便宜をもたらしていました。江戸時代の記録によると淀川には15ヶ所ほどの渡船場があったそうです。 “平田の渡し”は、1676(延宝4)年頃から開かれ、1907(明治40)年に大阪府営となるまでは、渡し守の個人経営であったとされています。1919(大正8)年には道路の一部と認定されて無料となり、1948(昭和23)年から大阪市直営になりました。その後、1970(昭和45)年に豊里大橋が完成するまで、通勤や通学の他、旭区へ買い物に行く人の足となり、大活躍していました。ところで、同じ渡し跡の碑が対岸の旭区側にもありますが、東淀川区の碑が“平田”なのに対し、旭区の碑には“平太”と書かれています。“へいた”という名前は、東淀川区側の地名である“平田説” と、当初の個人経営者名である“平太説”の二つが考えられているようです。


●“江口の君堂(えぐちのきみどう)”

寂光寺(じゃっこうじ)というお寺は、別名“江口の君堂”と呼ばれています。1167(仁安2)年、歌人西行法師が天王寺へ参詣する途中、たまたま江口の里でにわか雨に遭い、女家主の遊女・妙(たえ)に一夜の宿をお願いしたところ断られましたが、歌の問答があり、その奥ゆかしさから一夜を語り明かした、と言われています。その後、遊女・妙は仏門に帰依し、余生を人々の相談事にあてたそうです。妙の亡き後、江口の人々が冥福を祈って建てたのが“江口の君堂”だといわれています。この付近は、平安時代から鎌倉時代初期にかけて、京都との水運の要衝にあたる関係上、大変にぎわったところです。多くの遊女がいて、当時の公家・藤原道長や、その息子の頼道が訪れたという記録も残っています。現在、寂光寺の境内は、手入れの行き届いた約40種類もの樹木がしげり、ひっそりとした佇(たたず)まいで心が安らぎます。


●崇禅寺(そうぜんじ)

阪急・崇禅寺駅の北側にある崇禅寺にやって来ました。大変大きなお寺です。正式名称は“凌雲山(りょううんざん)崇禅寺”。奈良時代に行基によって創建され、約700年間、法相宗(ほっそうしゅう)のお寺として続いたそうです。その後、“嘉吉(かきつ)の乱”で赤松満佑(あかまつ みつすけ)が室町幕府6代将軍・足利義教(あしかが よしのり)を殺害した後、逃走の途中でこの寺に義教の首を埋葬したので、それにより、当時の管領細川家より大伽藍と寺領の寄進をうけ、足利義教と細川家の菩提寺“崇禅寺”として再興されました。それから約560年の間、曹洞宗(そうとうしゅう)のお寺として栄えています。義教の首塚だけでなく、細川ガラシヤ(明智光秀の娘)、崇禅寺馬場の返り討ちに遭った遠城(えんじょう)兄弟のお墓もあります。




<お問い合わせ>
東淀川区コミュニティ協会
TEL 06-6379-0700
http://www.osakacommunity.jp/higashiyodogawa



『東淀川区コミュニティ協会』
仲川豊さん



東淀川区民会館


淀川堤防と河川敷


ランニングをする人たち


豊里大橋と河川敷のテニスコート



『東淀川区コミュニティ協会』
工藤麻紀さん



“平田の渡し跡”


“江口の君堂”こと寂光寺


崇禅寺



● 取材を終えて、感じたこと

東淀川区というと、どうしても淡路駅前の商店街を思い浮かべるのですが、今回の名所めぐりでは、お寺や石碑など歴史を感じられる場所に連れて行ってもらい、東淀川区の意外な一面を知ることができました。
“平田の渡し碑”のある場所は、旭区への通勤や通学、買い物に出掛ける人の渡し船が行き来した場所ということで、毎日何往復もされていたことでしょう。淀川沿いの町が、いかににぎわっていたかを想像させる、楽しい場所でした。


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