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毎回、大阪を拠点に活動しているNPO法人やNGO、ボランティア団体、そして大阪のいろいろな地域で活躍している方やその地域の活動内容を通して、大阪の「ひと」や「まち」の魅力を発見していきます。
たくさんの人に知ってほしい大阪を魅力いっぱい、情報満載でご紹介していきますので、みなさんご期待ください。

2006年10月21(土)放送

北船場の魅力と面白さを発信。
〜『北船場くらぶ』〜

今回は、『北船場くらぶ』の活動をご紹介します。“北船場”という言い方は、俗称として使われていた時代もあったそうですが、正式な街の名前としては、存在しない名前です。しかし、南船場同様、とても魅力のある街、また、南船場とは一味違った魅力もある街ということで、この魅力を情報発信すべく『北船場くらぶ』の活動が始まりました。代表の澤田充(さわだ みつる)さんに詳しいお話を伺います。



●インタビュー前半

藤原:北船場は、どの辺りのエリアのことを言うのでしょうか?
澤田(以下、澤田・敬称略):北は土佐堀川、東は東横堀、西は西横堀、南は本町通りに囲まれたエリアを北船場と言います。

藤原:正式な街の名称ですか?
澤田さん:住居表示で言うと、北船場っていう表示はありません。でも、江戸時代には北船場って言われていました。最近あまり使う人がなくなった、そんな地名です。

藤原:その北船場には、どんな人たちが住んでいたり、営んでいたりしてきたのですか?
澤田:船場は、商人の街ということで有名だったんですね。特に北船場は金融機関や薬品が多かった。道修町は薬の街、北浜は証券の街、淀屋橋は銀行。また、住友や鴻池といった豪商がいたところでもありました。中船場や南船場は繊維が多かったんですが、北船場は金融などが中心でした。

藤原:なるほどね。金融業やお薬、豪商の街ということですが、どんな街の特徴を持っていたのでしょうか?
澤田:学問が非常に盛んなところだったようです。福沢諭吉も学んだ緒方洪庵の『適塾』や『懐徳堂(かいとくどう)』などの民間の学問所があったり、明治時代以降も学業が盛んだったということで、小学校の越境入学も多かったと聞いています。また、大正から昭和の初期に建てられた近代建築がたくさん残っているエリアでもあります。

藤原:澤田さんは街づくりの専門家ということで、オフィスを北船場にある平野町(ひらのまち)に構えていらっしゃいますが、なぜこの北船場に注目されたのでしょうか?
澤田:14年前に会社を独立してから、北船場の平野町にオフィスを構えています。そんな中で、4年ぐらい前から、淀屋橋の西側の街をブランディングできないか、街自身をブランド化できないかということで、“淀屋橋WEST”という活動をしています。“淀屋橋WEST”とは、淀屋橋の西側が金融機関の統廃合などで銀行の店舗がなくなったりして、昔のような元気がなくなってきたので、街をあげてお洒落な街にしていこうと始まったものなんです。また、北浜の三越が315年の歴史を閉じて、その跡地にマンションが建てられています。その開発の仕事もお手伝いさせていただいています。そうした形で、いろいろな場面で北船場に接してきまして、非常に面白い街だと気付き、こんな活動をしているのです。


●スタジオ

藤原:北船場について情報発信をしていこうと、2年前に5人ぐらいで、『北船場くらぶ』を始められたそうです。立ち上げられたきっかけは、ちょうど街が見直されてきた時期で、何か面白いことができないかな?ということだったそうです。北船場というと、オフィス街というイメージもありますが、昔ながらの風情があるビルや、三休橋筋などのように、並木のある素敵な街並みなんですよね。後半は今後の予定などについて伺っています。



●インタビュー後半

藤原:北船場で14年間もオフィスを構えておられるということですから、その14年間のうちに、いろいろな発見があったんでしょうね?
澤田:本当にいろいろな発見がありましたね。ちょっと見方を変えると、今まで気が付かなかったことがどんどん生まれてくる。例えば、瓦町(かわらまち)には『平岡コーヒー』さんという喫茶店が古くからあるんですね。お店の前をずっと通っていたんですけども、ふと目にとめて、中に入ってみると、コーヒーがおいしくてドーナツが名物ということが分かったんです。他にも、淡路町(あわじまち)2丁目の船場ビルの中に、ふと入ってみると、馬車が入れるような中庭があって、ヨーロッパの街に迷い込んだような雰囲気なんですね。聞いてみると、やっぱり元々は、馬車が入っていて、住宅兼オフィスビルとして使われていたそうです。今はオフィスビルとして使われています。最初は全然分からなかったんですけど、ここに何年もいると、そういった発見があります。

代表
澤田充さん

『エル・ポニエンテ・カルボン』
淀屋橋WESTの1号店としてオープンした
炭火焼のスペイン料理店

『旧小西儀助商店(兼住宅)』
明治初期、関西で初めて洋酒製造を
手がけた小西儀助の住居兼店舗

数々の名建築を残した
河合浩蔵氏の設計による
『新井ビル(旧報徳銀行大阪支店)』

シンポジウム打ち合わせの様子




藤原:普通に通勤で通っているだけだったら、絶対発見できないようなことですよね。これまでには、どんな活動をしてこられたのでしょうか?
澤田:やはり「伝統ある北船場は、いい街ですよ」と紹介することが大切だと思い、ホームページを作りました。それと、私たちが“ライフスタイルマガジン”と呼んでいる、『大阪北船場スタイル』という本を9月6日に発行しました。

藤原:これからの予定はどうなっていますか?
澤田:11月3日にシンポジウムを開催します。テーマは『北船場、〜過去〜現在〜未来〜』です。北船場の魅力を大阪市立大学の橋爪教授を中心に、街のいろいろな方にお話を伺って、過去、現在、そして将来どんなふうになっていくのか、などを情報発信していく、語り合う、そんなシンポジウムです。

藤原:夢がありますね。その他には?
澤田:これも11月頃ですが、三越跡のマンション工事の仮囲いを使ってウォールアートをしようと思ってます。船場には昔から“船場言葉”という非常に奇麗な言葉があったんですね。韓亜由美(はん あゆみ)さんという、ウォールアートの世界で活躍されている方に、その船場言葉を壁にアートしていただこうと考えています。

藤原:最後に伺いますが、今後の構想など、ありましたら教えて下さい。
澤田:北船場というところは、非常に有名なレストランや名店があるので、そのオーナーシェフによるクッキングスクール、あるいはワインのソムリエの講座など、北船場の人が元気になるような催し物をたくさんやっていきたい、そんなふうに思ってます。



●スタジオ

藤原:お話にありました、『大阪北船場スタイル』という、今、大変人気のあるムックなんですが、スタジオに持ってきたんです。いかがですか、中を見られて?

松本:おしゃれなスポットなどを紹介している情報誌って数多くありますよね。そういうふうな感じもするんですよ。だけど、そこに住んでいる人の視点というか、意外と生活感もある本だという気がします。

藤原:“暮らす”っていうキーワードをお話されていたんですけれども、実際に住んでいるだけではなくて、“街を愛している”、“人を愛している”、そういった人たちもいらっしゃるということです。

松本:こういうおいしいもん、こんなところで食べられるの?っていうのもありますけども、そこに暮らしている人たちの、生活ぶりもこれで分かるみたいな感じですね。

藤原:本当に北船場一色の雑誌ですね。これは1号なので、2号も楽しみです。『北船場くらぶ』の活動について、もっと知りたい、会員になりたいという方は、ホームページをご覧ください。どなたでも無料で会員になれます。また、シンポジウムやウォールアートのことも、こちらに書かれています。

松本:そうですね。

藤原:はい。『北船場くらぶ』の活動について、もっと知りたいな、会員になりたいなという方は、ホームページをご覧ください。シンポジウムやウォールアートのことも、こちらに書かれています。


<お問い合わせ>
ホームページ/
http://www.kitasemba.net

● 取材を終えて、感じたこと

南船場があるのだから、北船場があってもよいのに…。そんなことをちらっと思ったことがありました。地名は存在しなくとも、太閤秀吉の時代まで遡ると「北船場」と呼ばれていた場所があったんですね。金融や薬など、商人の街として栄えた北船場。今、その街は、キタやミナミとも違う、居心地のよい大人のスポットとなっているようです。
『大阪北船場スタイル』を片手に、北船場を散策してみるとよいかも!


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