●インタビュー前半
藤原:『アジア・フレンドシップ・ウェイブ』略して『AFW』の活動のきっかけは、大阪の商店街にあると伺いましたが、詳しくお聞かせください。
もずさん(以下、もず・敬称略):現在、“一商店街一国運動”に取り組んでいます。それは、一つの商店街が親善友好を結ぶ相手国を決め、売り出しの時に、中国フェアやインドネシアフェア、スリランカフェアなどを実施するという運動です。大阪市にはおよそ450の商店街がありますが、こうした市民レベルの国際交流活動を現在推進させています。毎年40〜50の商店街がやっています。アジアの国々と交流している商店街がとても多いんです。そういった中で一昨年の12月26日に津波が起こりました。
藤原:スマトラ島沖地震ですね。
もず:インドやスリランカ、もちろんインドネシアも大変な被害を受けました。友好国が津波の被害で大変なことになっているのだから、「商店街としてなんとかしよう!」ということがきっかけで、NPOを立ち上げることになりました。
藤原:今回はまず、スリランカを対象にされましたが、何か思い入れがあるのですか?
もず:スリランカとの関係は、私の一個人的な関係うんぬんではなく、ワールドミュージックといわれる音楽シーンの祖先であり、父なる、あるいは母なる立場にあるのがスリランカの“バイーラ”という音楽です。16世紀初頭の1505年に、ポルトガル船が楽器を持ってスリランカのコロンボにたどり着きました。おそらく歌も好き、演奏もうまかった船員たちが、スリランカの音楽を「面白いなあ」と感心すると、スリランカの人も「あなたの持っているギターも面白いなあ」と感心しあったという感じで。
藤原:お互いに?
もず:そうです。「タブラも面白いでしょ」という具合ですね。
藤原:タブラというのは、太鼓ですか?
もず:インドやスリランカの打楽器ですね。いわゆるパーカッションです。固有の楽器が出す音や人々の歌などをセパレートにするのではなく、コラボレーションして一緒になって作ったものが、大衆音楽のはじまりです。私が仕事にしている歌謡曲のお父さんは誰か、おじいさんは誰か、ひいおじいさんは誰かと延々と訪ねていくと、スリランカのコロンボに行き着きました。以来、20年通っています。
藤原:もずさんはスリランカで何と呼ばれていらっしゃるのですか?
もず:ただの“もず”です。でも向こうは英語文化圏ですから、英語で“もず”は“シュライク”というので、人称名詞風にerをつけて“ミスターシュライカー”などと言う人もいますけどね。ミュージシャンの間には、「ああシュライカーが来た」と言う人もいます。NPOの設立は、私が提唱者みたいに言われていますが、そうではありません。大阪市が制度を作った「一商店街一国運動」では、商店街自身に士気がある。音楽と、商店街の活動と二つの縁でつながる国が、えらい目に遭っている。
藤原:音楽と商店街運動は、そこでつながっているのですね。
もず:私の頭の中では、つながっています。
●スタジオ
藤原:もずさんはスリランカにすごい思い入れがあるわけです。
松本:世界最初のワールドミュージック、大衆音楽の原点がスリランカにあるのですね。
藤原:“大衆音楽の母”ともおっしゃっていました。
松本:なるほどね。
藤原:何がすごいかと言うと、スマトラ島沖地震の二日後に対策室を作って、すぐに行動に移していらっしゃったということです。
松本:日本政府よりも、早いですね。
藤原:今まで交流してきた友人が、ひどい目に遭っているのを放っておくわけにはいかない。何か役に立つことができないかと思われたのです。後半部分はさらに詳しくお聞きしています。
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理事長
もず唱平さん |
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各地でチャリティバザールを行い、
資金を集めます
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チャリティバザールには、
多くのお客さんが集まってくれます
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資金集めのチャリティオークションで
自ら商品を提供し、競り役を務める
歌手の成世昌平さん
(アジア・フレンド・ウェイブ理事)
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打ちあげられたままの船。
あたりは人影が、
まったくありません。
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ハンバントータで家族を失った
ふたりの女性
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ハンバントータで道行く罹災者。
彼も妻と子どもの3人のうち
2人を失った
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●インタビュー後半
藤原:救援活動には、具体的にどのくらいの費用が必要なのですか?
もず:努力次第なのですが、数百万円ないとできないのが現実です。億単位のお金が集まればいいのですが。しかし、現実にもう数百万円ほど集まっているので、まず調査を実施します。また、現地の人の意見を聞いて、こちらが勝手にするのではなく、望まれることに対応をするために、とにかく現地に行ってきました。
藤原:いつ行って来られたのですか?
もず:去年の12月25日に出発して、スリランカには1月2日までおりました。その間に被災地域、一番津波の被害が大きかったという南から東の地域を回ってきました。
藤原:地震が起きたのは2004年、そのちょうど1年後の2005年に行かれたのですよね。
もず:ちょうど1年後です。ところが、建物がシースルーで隔壁がありません。崩れたままです。
藤原:そんな状態では住めないですね。
もず:だからテント村がたくさんあります。日干しレンガみたいなものは、全部波に持っていかれてしまったのですが、たまたまちゃんとしたレンガで造った家が、こういう状態です。こちらの窓から向こうの窓がすけて、真ん中がありません。あまりにも被災地域が広範なため、日本では3万数千人と言われていましたが、現地で聞くとおそらく7万人は亡くなっているだろうと言われています。被災地域全部は、とても私の微力では対応できません。ですから、私がこの目で見て、いろんな人に会ってきました。その中でも、南のハンバントータの港町のお年寄りが困っていると、現地の方から話がありましたので、まずそれに対応していこうと考えています。建物を造るとか、建物の一角だけしかできないかもしれませんがね。出来たあかつきには、協力者のみなさんに呼びかけて、ツアーを組むことも計画していますが、その前に、私たちが実施プランや設計図を見る、一緒に資材やセメントを買うということなどもありますので、年内にもう一度行くことになると思います。また、もう少し募金が集まればという願いもあるので、イベントをやろうと思っていますが、その時にはぜひ協力して下さい。
藤原:ぜひとも協力させていただきたいと思います。今日は貴重なお話をどうもありがとうございました。
もず:こちらこそありがとうございました。
●スタジオ
藤原:お話を伺うと、スリランカはまだ被災当時のままの状態みたいです。下水道もない。そう思うと蛇口をひねれば当たり前のように水がでてくる日本の環境が、すごくありがたいと思います。お金がすごく必要みたいです。
松本:お金の使い方もあります。こちらが、何ができるかとか、何をしてあげたいではなく、現地の人が何を必要としているのか、望んでいるのかの調査などが大変でしょうね。
藤原:簡単にお金を送るだけではなく、実際に行って直接向こうの方とお話をして何をしてほしいのか、望んでいることをやりたいと、もずさんも考えていらっしゃいます。お年寄りを中心に、心を癒すような何かをしていきたいと思っているとおっしゃっていました。気温も35度以上あり、衛生面も悪い。協力してくれる、お金を出してくれた人には報告も必要だということですね。入会金は2000円、年会費が3000円、そして賛助会員が年会費1000円です。『アジア・フレンドシップ・ウェイブ』の活動を知りたい方、また、会員になりたい方は、ホームページをご覧ください。
お問い合わせ/
http://www.asiafriendshipwave.com
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● 取材を終えて、感じたこと |
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スマトラ島沖地震から1年。現地では世界中から支援があると思いますが、もずさんに見せて頂いた現地の写真は、まだまだ復興しているとはいえない悲惨なものでした。
一体、どこにお金が使われているのでしょう?アジア・フレンドシップ・ウェイブでは、実際に現地を訪ね、独自の調査をして「家族が亡くなり独りぼっちになったお年寄りなどを支援していきたい」との事。
復旧は長期戦になるかと思います。被災地のみなさんに笑顔が戻るよう、自分に何が出来るのかと考えさせられるお話でした。
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