●インタビュー前半
藤原:大塩の乱について調査や研究をされている『大塩事件研究会』は、いつごろ、どのような経緯でできたのですか?
酒井さん(以下、酒井・敬称略):1975年11月に結成しましたので、活動を続けて30年ちょっとです。大塩家の菩提寺である大阪市北区の成正寺で、以前から毎年3月27日の大塩平八郎の命日に“大塩中斎(ちゅうさい)先生顕彰会”が開かれ、法要と講演会が定期的に催されていました。これに私がお寺の関係があって、2回ほど出席していました。1974年の3月ごろに、西尾治郎平(じろへい)さんが「研究会を作ったらどうか」と提案なさいました。西尾さんは、戦前、農民運動を指導していた方です。1975年11月9日、当時の「なにわ会館」、現在の「ホテル アウィーナ」で、発足の会を開きました。
藤原:1975年設立ということは、昨年30周年の記念行事を行われたのですか?
酒井:11月19日と20日の2日間行いました。あまり難しい話でもということで、桂坊枝さんに「佐々木裁き」という落語の講演会をしていただきました。大坂町奉行の裁判の様子を表した落語で、子どもが奉行や与力をおちょくる、いかにも大阪的な話です。大塩平八郎が与力だったこともあり、みなさんそうした落語を楽しまれました。また、天神橋三丁目の『天三おかげ館』で展示会を2日間やりました。それから大塩平八郎の墓の見学会なども実施しました。
藤原:日頃はどのような活動をされているのですか?
酒井:二つほど柱があります。一つはこの寺を中心に実施している講演会。一流の学者の方にお話いただくものですが、年に7回から8回ぐらいやっています。もう一つは毎月、第四月曜日の夕方から大塩関係の古文書を読む勉強会をしています。こちらはどなたでもご自由にご参加くださいという形でやっています。
●スタジオ
藤原:成正寺には、大塩平八郎の句碑とお墓があります。それを見ながらお話を伺いました。2月19日が大塩の乱の日ということで、2月25日の土曜日の午後1時30分から成正寺で「大塩の乱の特殊性について」という講演会があります。参加費は500円で誰でも参加できます。また、3月は大塩平八郎の命日ということで、3月25日土曜日、午後2時から同じく成正寺で例会が開催されます。午後1時30分から法要があり、例会は午後2時から大阪市立大学法学部教授による「大阪の江戸時代の裁判」についての講演会があります。こちらも参加費500 円です。様々な視点から大塩事件について研究されているのですが、そうした研究を随時機関誌として出されています。機関誌『大塩研究』は一冊700円から800円ぐらいです。独自で詳しく研究されているので、面白いと思います。
松本:一般の方でも手に入れることはできるのですか?
藤原:年会費3000円を納めると、例会や研究会の案内も届きます。機関誌『大塩研究』は年2回発行されているそうです。機関誌の他にも勉強会がありますが、勉強会も楽しく、誰でも参加がOKです。1回500 円で別に資料代が実費としてかかりますが、プリント代なので5枚なら50円程度です。研究会は、毎月第4月曜日の夜6時30分から8時30分まで、上本町六丁目にある大阪府教育会館、別名「たかつガーデン」であります。ぜひ歴史に興味のある方はご参加ください。後半は楽しいスポットを伺っています。
●インタビュー後半
藤原:大阪市内で、大塩平八郎や大塩の乱にちなんだ散策スポットがあれば、紹介していただけませんか?
酒井:北区末広町に「成正寺」があります。元の東寺町の一角にあり、ここは菩提寺です。貴重な資料も残っています。また、明治になって建てられた大塩平八郎とその子・格之助の墓もあります。私たちが建てた大塩の乱に殉じた人々の碑もあり、裏には、ご先祖のお墓もあります。それからもう一つは、大阪造幣局の官舎の一角に「洗心洞跡」という大塩の住んでいた与力屋敷があり、碑が建っています。同じ一角には、中島という与力の門長屋も修復されています。最後は西区の靭公園の南、靱本町1丁目に大塩が死んだ場所があり、“大塩平八郎終焉の地”と書かれた碑があります。この三つが中心ではないでしょうか。
藤原:大塩平八郎は全国にファンがいますが、どんな人だったのですか?
酒井:人間的には、大変気難しくて、付き合いにくい人ですが、大阪の人が語り継ぐのは、やはり飢饉の救助の功績についてです。私は天保時代、全国で100万人死んだとみています。船場の中でもばたばた人が倒れ、民衆がどうしようもないという状況で、身を捨てて仁をなさんと立ち上がったのが大塩平八郎です。幕府の末端の役人ですが、大阪では非常に力を持っていた与力が民衆の先頭に立ったということも大きかった。大塩には、著書もたくさんありますが「救民」という言葉で旗印を掲げています。この「救民」という2字に大塩の全思想が表れています。民を救えと訴え、国家のあり方を問うたわけです。民が苦しい、災害を受けるのは政治の問題である、これがすべてですね。この気持ちを大阪の人が160年ほど引き継いでいるということです。
●スタジオ
藤原:大塩平八郎は付き合いにくい人だとおっしゃっていました。
松本:こういうことは、教科書では学ばないことですね。
藤原:大塩平八郎の熱烈なファンは、大阪人を中心にたくさんいらっしゃるそうです。みなさん「大塩先生」と呼ばれるのですか?と尋ねたところ、「大塩さん」とおっしゃるのだとか。また女性の方は「大塩はん」と言うそうですよ。
松本:秀吉さんを「太閤さん」と呼ぶように、どんなに偉大な歴史上の人物に対しても、なんとか“さん”、とか“はん”とかいう言葉をつけるあたりは、大阪人らしい感じがします。大阪の人たちは、それだけ親しみを込めているのでしょうね。
藤原:『大塩事件研究会』へのお問い合せは、事務局のある大阪市北区の成正寺(じょうしょうじ)へお願いします。
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お問い合わせ/
成正寺(大阪市北区末広町1-7)
TEL:06-6361-6212
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会長
酒井 一さん |
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大塩事件殉難者追悼碑
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大塩家が祭られている墓
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「大塩事件研究会」の旗印。
乱の当時翻った「救民」の文字は、
大塩の全思想
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「大塩事件研究会」の刊行物
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大塩の乱の影響を受けて起こった、
能勢騒動の関係地訪問バスツアー
(宝塚市 万正寺にて)
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盛泉寺(守口市)で、
新たに発見された
大塩平八郎の書状を調査中
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