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毎回、大阪を拠点に活動しているNPO法人やNGO、ボランティア団体、そして大阪のいろいろな地域で活躍している方やその地域の活動内容を通して、大阪の「ひと」や「まち」の魅力を発見していきます。
たくさんの人に知って欲しい大阪を魅力いっぱい、情報満載でご紹介していきますので、みなさんご期待ください。

2005年11月19日(土)放送

今回は、薬の町として知られる道修町(どしょうまち)にある『くすりの道修町資料館』を運営している『道修町資料保存会』の活動をご紹介します。道修町には薬の神様をお祀りし、“神農(しんのう)さん”と呼ばれて親しまれている「少彦名(すくなひこな)神社」がありますが、そこの崇敬者団体の皆さんが会のメンバーでいらっしゃいます。『くすりの道修町資料館』の久保武雄(くぼ たけお)館長にお話をお伺いします。

収録写真メイン


(インタビュー前半)

藤原 “くすりの町”としての道修町は、いつごろから歴史がはじまったのですか。

久保さん(以下:久保・敬称略):豊臣秀吉が大阪城を造ったころから城下町として船場の一角にできました。当時は鎖国をしていたので、中国や東南アジアから輸入された唐薬(とうやく)を扱う商人たちが道修町に集まっており、そこから現在のような“くすりの町”に発展しました。

藤原 薬を扱う人たちはどういうきっかけで、集まってきたのでしょう。

久保 八代将軍徳川吉宗の時ですから、今から280年ぐらい前の享保7年(1722年)に、道修町の薬種仲買仲間124軒が株仲間として幕府から公認されたのがはじまりです。薬種仲買仲間は、道修町に送られてくる輸入品の唐薬種を検査し、値段をつけて全国に供給していました。当時の薬種の原料は草根木皮で見分けるのが非常に難しく、それを道修町の仲買仲間が責任を持って検査をする代わりに、全国への供給の権利を与えられていたわけです。こうして、道修町は全国の薬種流通の中心地になりました。

藤原 薬の原料の全国卸しだったんですね。

久保:そうです。

藤原 明治時代になって、道修町はどのようになりましたか。

久保:明治時代になって西洋医学が入ってくると、仲買仲間は西洋医学の勉強をしなければいけません。そのために、薬の検査をする機関や薬の学校を道修町の仲買仲間が作って、新しい薬の勉強をしていきました。たとえば、大阪薬学校は現在の大阪大学薬学部に発展していますし、道修薬学校は大阪薬科大学に発展しています。明治になってからは株仲間が廃止されました。しかし、廃止されたのちには大阪薬種商組合として近代的な発展をとげ、今も少彦名神社を中心に団結しています。


(スタジオにて)

藤原 薬の原料を扱う“薬種仲買仲間”が行う薬の鑑別は非常に難しく人命に関わることだから絶対に間違えられない。そこで、薬種仲買仲間たちは、中国の薬の神様である“神農さん”の掛け軸を拝むようになったのです。後に日本の薬の神様で、病を癒す神である少彦名命を京都の五条天神宮から招いて、神農さんと一緒に薬種仲買仲間の寄会所にお祀りするようになり、それが今の少彦名神社の場所だそうです。『くすりの道修町資料館』には、江戸時代の文書がおよそ3千点、明治以降の資料がおよそ3万点もあるんです。この資料は、度重なる火災や明治維新の混乱を逃れて残った貴重なもの。これを後世に伝えなければいけないと思った久保さんたちは、目録を作って保存しようと立ち上がり、平成9年に目録が千巻できたので、『道修町資料保存会』を発足し、同年10月に『くすりの道修町資料館』としてオープンされました。資料館には、昭和40年代、50年代のポスターなどが展示されています。また、昔は薬を買うとおまけがついていたようで、そのような珍しいものまで展示していました。今では絶対見られないようなプレミアム展示品もあって、おもしろかったです。


(インタビュー後半)

藤原 今、保存会のメンバーは何名くらいですか。

久保:法人会員が260社、賛助会員が42、個人会員が210、合計で約510ほどのメンバーです。

藤原 すごいですね。会員になるとどんなメリットがあるのですか。

久保:年4回発行する機関紙をお送りするほか、神農さんのお祭りのご案内、それに神農さんのお守りである張り子の虎をプレゼントしています。

藤原 個人会費はおいくらですか。

久保:年会費3000円ですけど、張り子の虎だけでも十分もとが取れます。

藤原 最近、日本の製薬会社は合併が多いんですが、これから道修町はどういう町になっていくと思われますか。

久保:日本一のメーカーの武田薬品でも、世界では14番目なんです。新薬の開発には莫大な資金が必要になります。そのため大規模な販売をする必要があります。そこで、最近は合併して研究開発力を強化する大手メーカーが出てきています。今後は、道修町出身の製薬会社が世界に通用する薬を開発していくようになると思います。

藤原 道修町が世界に羽ばたいていくというわけですね。

久保:そうしなければ、製薬会社の将来の発展はないと言われています。

藤原 病気の人にとって、薬というのはすごく大きな問題ですから、ぜひとも世界へ進出していってもらいたいものです。ありがとうございました。

久保:ありがとうございました。


お問い合わせ/『くすりの道修町資料館』

http://www.kusuri-doshomachi.gr.jp
TEL:06-6231-6958
アクセス
地下鉄堺筋線「北浜」駅より徒歩2分
御堂筋線「淀屋橋」駅より徒歩7分
少彦名神社の中にあります。
入館は無料です。

開館時間:午前10時〜午後4時
休館日:日・祝・お盆・年末年始 




● 取材を終えて、感じたこと
くすりの道修町資料館は、古く貴重な資料がなんと綺麗な形のまま保存されていることでしょう!

周辺には薬関係の会社が多いことは知っていましたが、なぜこの地域に?に対する歴史の答えがよく分かりました。

少彦名神社では、ご家族の無病息災を祈願された、たくさんの絵馬がかかっていました。

今ちょっとした健康ブームですよね。健康こそが一番の幸せ!その健康志向の高まりは、江戸時代から続く、道修町薬種の仲買仲間による生命や健康に対する強い責任感のおかげなのだと、ありがたく思います。
出演者写真 館長
久保 武雄さん


資料館は、少彦名神社の境内に
併設されています

ブロンズの虎が目印です

資料館館内のようす

今では珍しいポスターも
たくさんありました

懐かしいパッケージが、
ずらりと展示されています

江戸時代の薬の原材料も
展示されています

資料は、とてもきれいな状態で
保存されていました。

薬を購入すればもらえた、
かわいいおもちゃ




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