トップページindex出演者プロフィール
大阪市コミュニティ協会リンク
ピピッと大発見!
ロゴ トップページへ

毎回、大阪を拠点に活動しているNPO法人やNGO、ボランティア団体、そして大阪のいろいろな地域で活躍している方やその地域の活動内容を通して、大阪の「ひと」や「まち」の魅力を発見していきます。
たくさんの人に知って欲しい大阪を魅力いっぱい、情報満載でご紹介していきますので、みなさんご期待ください。

2005年8月27日(土)放送

ホームページでは、「大阪が大好き! 」「大阪やないとあかんねん! 」というみなさんが、大阪にこだわった活動をしている様子を、大阪が大好きな藤原宏美がご紹介します。今回は、大阪が元気になることをどんどんしていこうという団体、「ふるさ都・夢づくり協議会」会長の須知裕曠(すち やすひろ)さんにお話をお聞きしました。

収録写真メイン


藤原 「ふるさ都・夢づくり協議会」の「ふるさ都」は、“ふるさ”が平仮名で、“と”だけが漢字の“都”と書きますが、これはどうしてですか?

須知さん(以下、須知:敬称略)
私どもは都島区になるので、その“都”を取っているんです。それを“都(と)”と読ませて「ふるさ都・夢づくり協議会」。この方が印象に残りますから。ただ、よく間違えられて、「ふるさ 都(みやこ)」になるんです。

藤原 そんな「ふるさ都・夢づくり協議会」は、どんな方の集まりなんですか。

須知 私は21年ぐらい居酒屋をやっておりまして、そのお客様が主たるメンバーなんです。

藤原 そんなメンバーでされた活動で最初にしたものといいますと?

須知 居酒屋をやっていた関係で、「ほんものの日本酒を味わう会」という会を立ち上げてオリジナルブランドの地酒を作っています。以前、地酒ブームっていうのがあったんですけど、その走りの頃ですね。地酒研究に入りまして、全国の地酒を提供しながら、それに飽きたらず、消費者の立場として、いろんなことにチャレンジしたんです。今は当たり前みたいになってますけど、酒造りで使用する「山田錦」というこの米は兵庫県だけの県産米だったんです。だから、米はよそへ出せないわけです。当然大阪でお酒を作るなんていうのは、考えられへん時代でした。それを農協とも丁々発止やりながら、なんとか大阪で山田錦を生産しました。なんと、消費者で米作りから酒造りまでやったというのは、日本で初めてのできごとだったんです。

藤原 いやー、「ふるさ都・夢づくり協議会」のみなさんっていうのは、ただものではないというのがわかりました。日本酒を味わう活動っていうのが最初でしょ。今もそれがメインの活動ですか。

須知 いえいえ、メインではないです。それは継続してそのままやってますけど、都島には与謝蕪村がおりますね。あれだけのエンターティナーがおるわけです。だから、そういう人がいながら、町の活性化ということに関して、みなさんがほとんどその当時されてなかったんです。もったいやないかと。たまたまその時が生誕280年。そこで、「蕪村の酒を造ろうや」と。蕪村のお酒は、「蕪村」という商標がすでに取られていたので使えませんでした。だから、今度は名前を変えて、「夢・蕪(ゆめ・かぶら)」にしたんです。普通音読みしたら「むぶ」なんですが、「ゆめかぶら」。非常に綺麗な瓶を作り、日本酒では初めての瓶を採用したんですけど、そういう瓶を使って、非常にデザインを懲りまして、いろいろやったんです。
反響は非常に良くて、そして、こだわりをまたそこで持ったわけです。『この酒は「都島」にしかないよ。だから他では買えませんよ・・・』という。その当時、新聞やらマスコミがいろいろたくさん書いてくれましたので、いろんなところから反響があり、デパートの大丸さんとか阪神さん、阪急さんが「それ分けてな。うちで売りましょ」という話になるんやけど、「何を言うてまんねん。おたくら“北区”やないか」と。「都島やったら売ってあげるけど」っていうようなことを言うて、これは商売としては下手なやり方ですね。(笑)

須知 大阪は、非常に文化がある町やと。文化を大事にするといいながら、いわゆる石モンなんですね。石碑とか石が多いんです。
それはそれで確かに顕彰してるわけやから、だけど文化を大事にしてることにはならへんわけですよ。例えば、松尾芭蕉なんかは、伊賀上野へ行けば「芭蕉館」がありますが、この芭蕉と並ぶこの蕪村が実は何もないと。

生誕地ということで、石碑が毛馬にありますが、なんか寂しいでしょ。だから、我々としては、今280年という時期ですから、次の周年は300年じゃないですか。だから20年後に・・・。だから蕪村は今、旅をしていると。今、全国を旅してるよと。で、20年後に古里の都島に帰ってくるよという想定にしまして、20年後には、市民が誰でも出入りできるような蕪村のミュージアムをひとつ作る必要があるなということで、「夢・蕪村庵」という建設をしようというような運動になったんです。

藤原 帰ってくるためのお家ですね。それは将来できるわけですね。

須知 これは間違いなくできるんですが、その時に、この蕪村の石碑のところにもっと公園的なものが広がるわけですから、そこにミュージアムを建ててもらおうと、こういうような動きに入ったんですよね。

藤原 蕪村庵・ミュージアム、できるのすごい楽しみですよね。

須知 フィーエルヤッペンね。オランダ人技師のヨハネス・デ・レーケさんが明治時代に改修を行って大変な貢献をしました。大阪とオランダっていうのは深い関係があって、マラソンとか今に至るということなんですけど、私は日本フィーエルヤッペン協会の会長をしています。フィーエルヤッペンっていうのは、オランダ発祥のものです。

松本 なんか棒高跳びの、なんか川を越える幅跳びみたいなスポーツですよね。

須知 当時、あれを日本に持ってくるなんていうのは有り得なかったことだったんです。数年前からメジャーになりつつなってますけど、オランダでしかできないスポーツということだったので、わざわざオランダまで行って日本に是非ということで交渉したんです。そういうことで会長をしていますが、淀川にはそういった深い繋がりがあるんです。

「ふるさ都・夢づくり協議会」の活動に興味のある方は、ぜひ、下記までお問い合わせください。

出演者写真 会長の
須知裕曠

取材写真
今では秋の風物詩ともなった
「大阪・淀川市民マラソン」。

取材写真
大阪で…全国で初めて、兵庫県のお米「山田錦」を生産しました。

取材写真
オランダ発祥のフィーエルヤッペン。
さらなる普及が楽しみですね。

取材写真
都島限定「未知の酒」。
どんな味がするのでしょう?
お問い合わせ/「ふるさ都・夢づくり協議会」事務局
住所 大阪市都島区高倉町1-14-15-5F
TEL 06-6929-0110
FAX 06-6929-0284
HP http://www.furusato.gr.jp
e-mail suchi@md.neweb.ne.jp


  ●藤原さん感想
「誰かがやってたものじゃ、ダメなんですよ。日本で初めて!という事しか興味がないんです」と、キッパリ断言された須知さん。
その活動ぶりは素晴らしく、町づくり、環境、社会貢献などを考慮して「淀川のマラソン」「フィーエルヤッペン普及活動」「御堂筋打ち水大作戦」など、関わっておられるジャンルは幅広いもの。
それらは、地元・都島に密着していること!を強く意識されているようでした。
区民にとって、毛馬出身の与謝蕪村は誇り高い人。建設予定の「夢・蕪村庵」の今後が楽しみです。
藤原さん写真

ページトップへ

copyright(c)2005 OSAKA BROADCASTING CORPORATION