Q,最初に堀江の定義から教えてください。西区の北堀江、それから南堀江がありますが、元々の堀江とはどんなエリアを言うのでしょうか?
「堀江は昔、川に囲まれている町というイメージだったのですが今は川はありませんね。元々は北が西長堀川、南が道頓堀川、それから、東が西横堀川、西が木津川というこの川に囲まれたエリアを「堀江」という風に呼んでいたんです。ちょうどその南北の境、真ん中のところに「堀江川」という川が流れていて、そこで北堀江、南堀江と分かれていたんです。」
Q,なるほど。元々は川に囲まれた場所だったんですね。堀江の町はいつごろできたんですか?
「ちょうど歴史は300年なんです。元禄11年といいますから、江戸時代の初めごろで、第5代将軍・綱吉の時代ですね。1698年にこの堀江川が掘られて、堀江という町が誕生したんです。その頃、大坂三郷というのは、600町ぐらいあったのですが、その時に33町という町ができたんですね。これが大阪の水都が完成した時期なんです」
Q,当時の特徴というと、どういったものなんですか?
「基本的に、大阪の町は自治組織ということで一番自由があったとはいうんですが、けっこう北組、南組、天満組というのは、それなりに締め付けもありまして、その締め付けが一番なかったのがこの堀江地区になるんです。例えば遊郭がすぐ近くの新町にあったのですが、その影響ですぐ堀江地区にもいわゆる堀江遊郭、花街ができるんですよ。文化面では、浄瑠璃の人形師とかそれから義太夫を語る人、お相撲さんも南堀江にいましたし、そういった文化、芸能、スポーツを、ずっとリードしてきたのがこの堀江だったんですね」
Q,最先端の町だったんですね。そんな堀江を通して、大阪を再生していこうという活動をされてますが、具体的にはどんなことをされているんですか?
「まず一つは、子供たちから、あるいはお年寄りもそうなんですけど、活字にあまり親しまなくなった世代、そういう人たちに大阪の町の歴史、まず自分たちの根元、起源を知ってもらおうと、堀江の今昔地図を作ったり、なにわ1500年のの歴史についての講演を行ったりしています。また、今取り組んでいるのは「なにわ1500年デジタル紙芝居」の作成です。これは大阪の歴史をデジタルコンテンツを使って紙芝居にまとめたものです」
Q,そうした堀江をフィルターに大阪を見つめなおすという活動をしていく中で、将来、大阪がかつての賑わいを取り戻していくというストーリーは、どのように描いていらっしゃいますか?
「基本的には、人だと思うんですよ。今、大阪の中で人口が増えているという区は西区が筆頭なんですね。これは地政学的に大阪というのは、淀川、大和川からくる土砂が流れて、ベイエリアに地域をつくり、そこに人が住んで、いわゆる地政学的な優位性を誇ってきたんですね。その流れの中で、この堀江は非常に貴重なポイントを持っているわけですけど、最終的にこれからの水都・大阪の水辺空間の再生といった流れも取り込みながら、そこに住んでいる人たちの活力を温存していきたい。世代間に引継ぎをしてもらって、堀江なら堀江で定着してもらう。そうなれば、そこに新たに生業の文化ができると思っているんですよ」
Q,最後に、水知さんにとって、大阪の一番いいところ、この堀江が好きな理由を教えて下さい。
「何もなかったところから、大阪や堀江に関する資料を調べ、色んな発見をして、それをまとめて本に書くことになったのですが、この喜びをみんなに知ってもらえたら、ずっと僕が言っている土地に対する愛着と将来に対する展望がおのずと出来てくると、僕自身は思うんですよね。自分が今住んでいるこの地域、この堀江を知っていくうちに、自分に何が向いていて何がやれるかをみんなが考えるようになる。私はその動機付けを是非してあげたいし、僕自身この2年前までサラリーマン生活をしている時には、考えなかった世界を他の人たちも感じてくれるんじゃないかなと思っています。なによりこの堀江は非常に味わいのある場所ですし、皆さんも自分の住んでいる町のことを考えてもらいたいと思いますね」
「NPO法人なにわ堀江1500」では他にも堀江にある石炭火力発電所の保存運動など様々な活動をしています。堀江の歴史などに興味を持たれた方は、下記までお問い合わせください。 |
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代表理事
水知悠之介さん |
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水知さんの著書です。思わず読み込んでしまいます。 |
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制作中の「デジタル紙芝居」
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西道頓堀発電所(手前レンガの建物)
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堀江史あれこれ
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