大江町駅前の鬼瓦公園


日本の鬼の交流博物館前の巨大鬼瓦


展示では世界の鬼も見ることができる


大江山連峰の紅葉


鬼獄稲荷神社

  
     <大江山の地図はこちら>


鬼と古代の道がよみがえる里

国道27号で綾部に入り、舞鶴自動車道に乗りました。
そして、綾部ジャンクションから京都縦貫自動車道の一部である
「綾部宮津道路」へ入り、山の中を抜けていきます。
開通しているのは、舞鶴大江インターまで。そこを下りて大江町に入ると、
鬼、鬼、鬼の文字。鬼の人形、鬼の看板、まさに酒呑童子の里に来たという感じです。

大江山登山口から500mほど登った所に、「日本の鬼の交流博物館」がありました。
正面には超巨大な鬼瓦。各地の瓦の産地の皆さんが、パーツに分けて焼いて、
ここで組み立てたようです。お話を館長の村上政市さんに伺いました。
         
 「ここは大江山の2合目辺り。日本鉱業河守鉱山という近畿有数の
 銅山がありましたが、昭和43年に休山。廃墟と化したその鉱山跡を
 鬼伝説でよみがえらせて、鬼の町・大江町をアピールするため、
 10年前に博物館を造りました」
鬼伝説について、教えていただきました。
 「三つの鬼伝説が残っています。崇神天皇の弟の日子坐王(ひこいます
 のきみ)が、陸耳御笠(くがみみのみかさ)という土蜘蛛を討った伝説。
 聖徳太子の弟の麻呂子親王が、大江山の鬼を討った伝説。
 この二つがあったため、古くからここは鬼の住む山と意識され、
 三つめの伝説である酒呑童子の舞台となりました。
 これは南北朝時代に書かれた物語の主人公です。古代、山は異界であり、
 交通面では障害でした。大江山には東と西に古代からの重要な道が
 二つあったのです。山陰道から宮津へ入る176号の与謝峠を通る道と、
 旧宮津街道の普甲峠越えの道。鬼は異界の存在ですから、
 異界と人が交流する接点の峠や坂道に、鬼が出たという伝説が
 残っているわけです。普甲峠や与謝峠周辺など、
 大江山には鬼の伝説がゴロゴロしています」
重要な二つの道は、いつごろから通っていたのでしょう。
 「平安時代に『古山陰道』から分かれて丹後へ向かったのが、
 今の与謝峠越えの道で、普甲峠越えの『元普甲道(もとふこうみち)』は、
 今昔物語に出て来ます。和泉式部も、恋しい夫の藤原保昌を訪ねて、
 この坂道(元甲普道)を歩いたことでしょう。新しくできる舞鶴大江
 インターから宮津インターまでの間の京都縦貫自動車道は、くしくも
 元普甲道のそばを通っている。千年の歳月を超えて元普甲道がよみがえる。
 本当に喜びを感じています」
新しい道は、和泉式部の思いや鬼伝説を感じながら走ることができるわけです。
 「そう、どこかで酒呑童子や家来の鬼たちが覗いているかもしれません」

 「日本の鬼の交流博物館」
 京都府加佐郡大江町字仏性寺909
 ■開館時間/9:00〜17:00
      *入館は16:30まで
 ■休館日/毎週月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始
 ■入館料/一般300円、高校生200円、小・中学生150円
      *特別展等は別
 ■TEL /0773-56-1996

動く雲海を見たい!

大江山を登り、車で来られる一番高い8合目に来ました。鬼獄稲荷神社があります。
ここからの雲海の眺めは近畿随一といわれていますが、今は見えていません。
大江町役場産業課の吉田孝広さんに、雲海はいつ出るのか伺いました。
          
 「雲海は年中出ています。ただ、きれいな雲海は10月に入ってから。
 11月上旬になると、紅葉と雲海の組み合わせもきれいです。
 晴れて、朝も夜も冷え込んだ時には、由良川の川霧が雲海となり、
 山頂あたりは見せつつ、下の方に広がります」
何時ごろ来ればいいんでしょうか。
 「日の出の時には、京阪神などから泊まりがけでかなりの方が来ています。
 日の出から8時ごろまで、きれいな、それも動く雲海が見られます。
 数千m級の山の場合、下に白い雲が見えますが動きが遅い。
 ここは標高650mで低く、気候的に厳しいんですが、そういう山の雲海は、
 日の出の時には下の方にあり、段々と上がって来て雲になり消えていきます。
 その動きが素晴らしくて、カメラを手放せません」
眺めも空気もいい。森の香りが風に乗って漂ってきます。


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京都府大江町を訪ねました。京都縦貫自動車道、来年は舞鶴大江インターから宮津インターまで、さらに何年か後には、
丹波インターから綾部インターまで完成するそうです。そうなると、ここ大江町にも気軽に来ることが出来ます。