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| 旧街道が交わる交通の要衝 | ||
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| 民俗学への道 | ||
「資料館の展示物として、まずはこの建物をじっくり見ていただければと思っております。木造二階建てでギリシャ建築様式を取り入れた洋館は、柱の造りや装飾品など、細やかな美で楽しませてくれています。館内には、当地方で実際に使われていた生活用具や農具などの民俗資料を多く展示しております」 |
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「明治8年7月31日に、兵庫県神東郡田原村辻川に六男として生まれ、11歳ごろまで過ごしました。最初は文学青年として森鴎外さんなどと交流しましたが、その後は民俗学を志しました。その原点の一つには、生まれ育った家が挙げられます。日本民家の原初形態と言われる『田』の字形をした家で、著書に『私の家は日本一小さい家だ。この家の小ささという運命から、私の民俗学への志も源を発したといってよい』と記されています。また、二つの街道が交差する辻川にいて、さまざまな人たちが行き交い、物や文化が運ばれるなか、新しい様式を取り入れて変化していくスピードの早さを目にしたことも、大きかったのではないかと思います」 |
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■開館時間/9:00〜16:30 ■休館日/月曜日(祝日の場合は翌日)、 祝日の翌日(土日の場合は開館)、年末年始 ■入館料/無料 ■TEL /0790−22−5699 |
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| 福崎町が豊かな理由 | ||
「ここの面積は13万5000uぐらい、甲子園球場が90ほど入る広さです。約30社の工場が操業し、従業員数は約3500人です。昭和35年、当時の大野鶴市町長が基幹産業を持ってこようと、子会社が福崎で鶏舎をしていた丸紅さんに、西治(さいじ)、高橋、西谷の3地区を使って工業団地を造ってくれるよう要請したのが始まりです」 |
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兵庫県福崎町の“秘密”を探るドライブを楽しみました。通過するだけではもったいない町だと分かり、柳田國男の足跡をゆっくり巡ってみたくなりました。 |
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