鴻池新田会所
(大阪府東大阪市)

綿作りで潤い
水で悩んだ鴻池新田
〜新田開発が引き起こした新たな問題〜
2008年10月25日放送

JR学研都市線の鴻池新田駅近くを流れる淀川支流の寝屋川は、大和川とは関係が深い川。304 年前まで、大和川は大阪湾に直接流れず、何本かに分かれてこの寝屋川に流れ込んでいました。そして、付け替え工事により、その内の何本かの川や池が埋め立てられて新田となりました。これから訪れる鴻池新田会所は、そんな歴史の舞台となったところで、国の史跡に指定されている名所でもあります。

新田で綿を作った本当の理由

 重要文化財指定の建物などもある鴻池新田会所は一般公開され、資料展示も行われています。その歴史について、学芸員の井上伸一さんにお聞きしました。
井上 鴻池新田は、大和川付け替えの翌年の1705年から、大阪・今橋の両替商、鴻池善右衛門家の三代目宗利とその息子の善次郎の2人が開発しました。その新田を管理運営するための施設が会所で、小作人からの年貢米徴収などをしていました。戦国時代の武将である山中鹿之助の息子、新六幸元は、鴻池村(現伊丹市)の大叔父に引き取られて育てられましたが、日本で初めて清酒を開発し、大阪にも進出しました。その息子の1人が善右衛門であり、新田を開発したのはその善右衛門の孫にあたります。鴻池家は海運業や両替商など、手広く事業を展開しましたが、両替商は明治時代に第十三国立銀行へと発展。さらに、鴻池銀行、三和銀行、三菱東京UFJ銀行へと変遷しました。

 鴻池新田では、どんな物が作られたのでしょう。
井上 ピーク時は耕作地の6〜7割が綿、残りが米でした。江戸時代前期・中期の河内国では、鴻池新田に限らず大体が綿を作っていました。需要が非常に高く、米よりももうかったからです。鴻池新田では、小作人でも年季奉公人を雇える経済力がありました。また、米を作るべき田にまで綿を入れてしまって年貢米が手元になく、米を買って納めることもありました。


鴻池流水問題解決法

 新田開発により問題は起きなかったのでしょうか。
井上 川や池が埋め立てられ、周辺の村々は水を取る権利や余った水(悪水)の排水先を失う問題が起きました。東大阪周辺の場合、東側の生駒山ろくの村々である「山方」と、西側の平野部にあって鴻池新田の東側及び南東側に位置する「六郷」で構成されていましたが、山方は下流に新田が開発されて悪水が流れにくくなり、六郷は大和川が埋め立てられて取水先と排水先の二つの問題を抱えたため、寝屋川を中心とした新たな水利システムを築く必要が生じました。

 どのように解決していったのでしょう。
井上 六郷と協力して開発された鴻池新田が、寝屋川から取水できる「二十ケ村組合」に加入し、引いた水を六郷に提供しました。六郷はもらい水でなんとか農業を営んだわけです。

 

 その他のエリアはどうなったのでしょう。
井上 鴻池新田よりも寝屋川上流部にある深野(ふこの)池跡を埋め立てて造った新田は、その東側にある山方から悪水をもらって米を作り、その新田の悪水は寝屋川に流しました。ところが、鴻池新田が取水のため下流に井堰を設けたので寝屋川の流れが少し悪くなり、山方や深野池跡の新田の悪水がそこで滞るようになりました。そして、深野会所の者が無断でその井堰を下ろしてしまい、鴻池新田の綿畑が荒れるという事件まで起こりました。深野と山方連合と鴻池・六郷連合の利害対立を象徴する事件です。

 解決のためにどんな努力がなされたのでしょう。
井上 鴻池新田と六郷は、深野池跡の新田の地主たちに対し、山方と組むのではなく、同じ平野部の村として協力しあおうと粘り強く呼びかけました。水問題に手を焼いたのか深野池跡の新田の地主は次々と入れ代わり、やがて寝屋川に面した河内屋北新田と深野北新田、深野中新田については、鴻池又右衛門が地主になりました。寝屋川の上流部の新田を鴻池一統が所有することで、農業用水を安定的に確保したのです。

 悪水の流し先はどうなったのでしょう。
井上 人工的な水路を「井路(いじ)」と言いますが、付け替え前からあった悪水用の井路は使わせてもらえず、新しく造る必要がありました。そこで、寝屋川の下流側にある新喜多(しぎた)新田の地主、鴻池新七に土地を提供してもらって井路を掘り、山方と深野池跡の新田の悪水を流し、鴻池新田の悪水は自らの新田内に掘った井路に流しました。この他、鴻池家は寝屋川対岸の三島新田も買収し、寝屋川筋の新田を鴻池一統で治めて水利システムの安定化を図りました。

 

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井上さん


昔の姿を残した鴻池新田会所には、知らなかったたくさんの歴史がありました。新田開発に伴って争いが起こるほど、やはり水は大切なもの。今は全ての水田に水が行き届いていますが、そこには多くの人たちが関わっていたことを知りました。歴史を感じながらの大和川の散策も面白いのではないでしょうか。