流谷川に綱を架ける様子

新年のおめかしは
千年前の神様の足跡
〜流谷川・八幡神社の「綱打祭」〜
2008年1月12日放送

大阪府河内長野市南部の天見地区。空気が澄み、杉やヒノキがいっぱいのこの里山に流れる流谷川は、天見川の小支流。その水は、石川から大和川へと注いでいます。この川に、今、綱が架けられようとしています。流谷川沿いにある八幡神社の神事「綱打祭」。今回は、キッズリポーターの井阪若菜(中2)さんと井阪阿怜(小4)君、奥中健太(小5)君と一緒に、その模様をお伝えします。

5分が限界の力仕事

 地元の方14人が、持ち寄ったわらで綱を編んでいます。川に架ける綱は直径10cm以上あり、はしごに乗った1人が押さえ、2人がねじりながら編んでいます。腕が震えるぐらいの力。あまりに疲れるため、この3人1組のチームは5分ぐらいで交代します。
若菜 ダイナミックで、女には真似ができません。
阿怜 先が皮膚に当たって、チクチクして痛そう。

 5分で手が動かなくなる経験はあるのでしょうか。
若菜 激しい皿洗いですかね。
奥中 バスケのドリブルの練習とか。

 この綱打祭に参加して50年以上という、氏子の責任総代、尾花徹さんにお聞きしました。
尾花 綱は200尺(60m)以上の長さになります。粘り気があって持ちがいいもち米のわらを使い、氏子総代12名、流谷と天見の両区長1名ずつ、合計14名が3人1組で編んでいきます。

 一方、女性も細い縄を作っていました。
尾花 カシの木に刺した御幣(ごへい)と榊(さかき)を飾る、長さ7mほどの細い縄です。(太い綱に)普通は12本付けますが、今年はうるう年なので13本こしらえるんです。綱が完成したら、宮司さんがお勤めをし、全員で橋の上まで持っていき、片方を柿の木に、もう片方を杉の木にくくりつけて架けます。

奥中 綱はいつごろから作っているんでしょうか。
尾花 今朝の8時から始まってるんですわ。お昼前後、遅い時には2時ごろまでかかりますけど。

阿怜 なぜ綱は60mでないといけないんですか。
尾花 60mとは決まってないんです。長い場合は、杉と柿の木に何べんも巻き付けるんですわ。


キッズリポーターたち

阿怜 これは、いつごろから行われているんですか。
尾花 長暦3(1039)年1月6日に、京都岩清水八幡宮の荘園だったこの地に、石清水八幡宮のご神体が勧請(かんじん)されたのを記念し、翌年から行われています。橋がなかったため、綱をこの流谷川に架け、ご神体を入れた宝殿を本殿へと遷宮したわけです。綱は橋代わりです。

 流谷川についても、尾花さんに伺いました。
尾花 私らが子供の時は、各地区にあった淵で泳いで遊んだものです。今は生活排水が入り、多少は濁っているようですけど、そう目立った汚れはないようです。

水の大切さを伝える神事

 八幡神社の歴史などについて、今度は井上和也宮司にお話を伺いました
宮司 平安時代、この地には宇多天皇の皇子、敦実(あつみ)親王が領主としておられ、崇敬する京都石清水八幡宮にこの地域を寄進されました。その後、石清水八幡の神領、つまり荘園になり、長暦3年に石清水の神様がここに勧請されたと言われています。綱打祭は千年近い歴史と伝統のある神事で、今日では村の安全や豊作祈願の意味も持っており、その貴重さが認められて、近々、河内長野市の指定文化財になる予定です。寒さ厳しい時に、守り抜いてこられた地域の皆さんのお陰です。

 流谷川沿いにある八幡神社では、他にも、水や川に関係の深い行事が行われているようです。
宮司 五穀豊穣をお祈りする2月の「祈年祭」では、神社から出すお札を皆さんが持って帰り、カシの木に付けて田んぼの取水口にお祭りされます。お米作りに欠かせない水を守るわけです。7月には「湯立神事」があり、湯釜に流谷川の清き水をくんで湯に沸かします。私がまくそのお湯に当たると、無病息災で暮らせると言われています。なお、八幡神社の湯釜は日本でも最も古いとされる3本足の湯釜で、1340年に鋳造。大阪府指定重要文化財になっております。

 流谷川の水質は気になるところです。
宮司 夏になると蛍が前の川にいっぱい群れ、7月にはアオバズクが飛来します。鎮守の森には色々な動植物がいます。森を守ることは、水を守ること。大和川の源流と言えるこの流谷川を美しく保つためにも、神社として十分配慮しておるつもりです。

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井上宮司、尾花さんと

完成した綱を朱色の八幡橋の上に運ぶと、その半分を残したまま、あとの半分の端を神社側にある大きな柿の木の根にくくりつけました。そして、残りの半分は反対側にある杉の木に。10人以上の男性が支えたり引っ張ったり、また、神事を見守っていた方々も加わって、みんなが一緒になって架けていました。