大和川支流実盛川の
「とっくり湖」横を歩く

信貴山の上から見る
一味違った大和川
〜大和川を目指してウオーキング 〜
2007年12月8日放送

今回は大和川ウオーク第3弾。スタート地点は、信貴山の南側山腹にある朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)から南へ1kmほど、奈良県三郷町です。まずは大阪府と奈良県の境界にある信貴山から大和川を眺め、大和川に向かって歩こうというわけです。ご案内は大阪ウオーキング連合のお二人、名誉会長の竹中愼知(ちかかず)さんと、三郷町在住の会員、在間(ありま)悦男さんにお願いしました。

信貴山の歴史は戦の歴史

 まずは、ダム湖に架かるつり橋を渡っています。橋が揺れる上、足の下がよく見えて少し恐怖も。
在間 これは「とっくり湖」といい、三郷町の水がめになっています。形が徳利に似ているという話も聞いたことがありますが、正式な名前の由来は知りません。これから朝護孫子寺本堂へ行き、奥之院へと回ってから、下りていこうと思います。

 朝護孫子寺本堂に来ると、舞台から、正面に山、左手に町が見えます。
在間 三郷町の家並みです。今日はかすんで見えませんが、天気がいいと、ずっと遠くに奈良の山が見えます。大和川も見えていたと思うのですが。
竹中 信貴山は、聖徳太子が物部氏を攻める時、毘沙門天に願をかけるため、寅の年、寅の日、寅の刻に祭ったのが始まりとも言われています。戦国時代には、織田信長の武将で、最後は信長に滅ぼされる松永弾正が、上の方に城を構えました。

 本堂へと上がる階段口の横から、山へと登っていく道に入ってしばらく歩くと、続いていた木々がなくなって急にいい眺めが広がり、右方向にカーブを描いている大和川が見えました。いい眺めです。
在間 そうですね。大和川の向こうに、王寺の町が一望できる所です。これから奥之院に行きます。

 10分ほど北へ歩くと、信貴山奥之院に到着しました。
竹中 信貴山奥之院は、多聞院といって、毘沙門天を祭っています。やはり聖徳太子が造りました。元々、信貴山を造ったわけですから、同じですね。ここは戦争でも焼けませんでした。

 大和川を見下ろした地点に戻り、今度は木々や畑に囲まれた道を東方向に歩き、疫病を鎮めるために祭られた地蔵や、朱色の鳥居がある御櫛(みくし)神社を見て、方向を南に変えました。畑に特徴があります。
在間 ちょっとシーズンは終わっていますが菊の畑と、こっちの鉄の桟が組まれているのがブドウ畑です。ここ平群は、菊とブドウの産地として有名です。

信貴川のせせらぎが出迎え

 下り道に入ると段々畑が多くなり、その辺りから水の流れる音が聞こえてきました。
在間 この下には、信貴川の源流が流れていて、少し先で、谷から流れてきた川と一緒になり、信貴川として大和川に注いでいます。僕は行ったことないんですけど、この辺はまだ水が奇麗で、奥の方では蛍がいたというような話も聞いたことがあります。これから信貴川に沿って、王寺駅近くまで歩こうと思っています。

 約3時間かけて、ついにゴール!明治橋の横、信貴川と大和川の合流地点に来ました。信貴川の河口辺りが、ちょっと変わった感じになっています。
在間 あれは信貴川を浄化する施設で、最近、出来ました。水の一部を誘導してきて、あそこの貯水池みたいな所を通し、信貴川を奇麗にしようということです。

 在間さんは、明治橋にはよく来られ、いつも風景をご覧になっています。
在間 このごろ、川にはカモがいたり、たまにはサギが飛んできたりもしていますね。

 三郷町に住んで約34年とのこと。大和川の変化もよくご存じのはずです。
在間 だいぶ奇麗なったように思いますね。この明治橋の下にはコイがたむろしていたりしますしね。最初のころにはなかったことですね。日本で有名な水質の悪い川でしたからね(笑)。

 将来、大和川に望むことは何でしょう。
在間 やっぱり奇麗な川ですね。昔、泳いでいたという人がいますから、そんなようなことになったらいいなあと思います。

 竹中さんに、今日のコースについて伺いました。
竹中 コースは在間さんが作りました。非常にいいコースを作ってくれました。やはり地元の方でないと、こんな複雑なコースはなかなか出来ません。奥之院に山伏が来て、火を焚き、ほら貝を吹いていたのが印象に残りました。奥之院から下の道は、今まで歩いたことがありませんでした。

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在真さん(中央)と
竹中さん(右)

奈良県平群町から三郷町へ。今回のウオーキングは、ほとんどが信貴山からの下り坂ではありましたが、山中では時々上りもあり、体力的にはきつかったのでずが、今はほとんど疲れを感じていませんし、気持ちが良かったのですっきりしています。皆さんも、ぜひ、大和川や周辺の自然に触れてみてください。