和田萃名誉教授と
橿原考古学研究所附属博物館で

大和川付が運んだ
古代のセレブたち
遣隋使、小野妹子から1400年
2007年11月24日放送

大和川支流の飛鳥川が流れる奈良県橿原市。奈良県立橿原考古学研究所は、発掘調査などを通じて日本の歴史を解明してきました。今回は、その附属博物館に来て、京都教育大学名誉教授で橿原考古学研究所指導研究員の和田萃(あつむ)さんにお話を伺います。小野妹子が遣隋使として中国に渡って今年で1400年、答礼使と一緒に奈良に戻って来年で1400年。その遣隋使と大和川について迫ります。

「亀の瀬」は陸路で回り道

 まずは、遣隋使についての基礎知識から
和田 長い間の南北朝対立を経て、北朝の隋により中国が統一されて強大な国家が出来たため、周辺諸国は隋に遣いを出し、朝貢(ちょうこう)して、隋の庇護下に国家を存立させる態度に出ました。雄略大王の時に南朝の宋へ使者を派遣して以来、120〜130年近く中国と全く没交渉だった倭国も、使者を派遣。それが遣隋使です。日本書紀と中国の隋書により分かっている計6回の遣隋使のうち、推古天皇8(600)年の1回目に関する記述は、随書にはあるものの日本書紀には見えていません。しかし、推古天皇15(607)年に小野妹子が遣わされた記録は日本書紀にもあり、この2回目の派遣から数えて今年が1400年になります。また、翌年に小野妹子が帰国する時、使いとして、隋から裴世清(はいせいせい)という人物が皇帝の国書を持って一緒に来ています。

 飛鳥までどんなルートを通ったのでしょうか。
和田 日本書紀に割と詳しい記述があります。日本最大の港で、今の高麗橋(大阪市)辺りにあった難波津に上陸し、そこにあった客館に滞在した後、当時は河内湖があったので、おそらく河内湖から、そこに注ぐ旧大和川をさかのぼって国分(柏原市)辺りまで行き、今度は陸路で竜田越えをして奈良県側の大和川まで下り、小さな川舟に乗り換えて、また初瀬川(大和川本流)をさかのぼったのでしょう。そして、三輪山のふもとの海柘榴市(つばいち)で出迎えを受け、飛鳥の小墾田宮(おはりだのみや)に入ったのでしょう。

 なぜ、途中で陸路を使ったのでしょう。
和田 柏原市辺りまでは水路で行けますが、それから上流には「亀の瀬」の隘路(あいろ)があり、また、地すべり地帯でもありますから、船では上れなかった。江戸初期に片桐且元(かつもと)が岩を爆破するなどの開削工事をした後も、荷物は一度陸送してから船で大和川を上っていました。古代においても、当然、そうなります。

 


取材時に開催されていた
「金の輝き、ガラスの煌(きら)めき
〜藤ノ木古墳の全貌〜」の展示

出迎えも超ゴージャス

 海柘榴市での出迎えについて伺いました。
和田 それも日本書紀に詳しい記述があり、東アジア世界で最高級の馬具を付けた「飾り馬」75匹に使者が乗り、出迎えました。それなりに倭国の誠意と威信を示す、非常に豪華で派手な出迎えです。そして、長官である額田部連比羅夫(ぬかたべのひらふ)が、桜井から飛鳥へと通じる山田道を通り、最近では雷丘(いかづちのおか)のすぐ東側にあったことがはっきりしてきている小墾田宮へと導きました。

 海柘榴市はどこにあったのでしょう
和田 初瀬川北岸、海柘榴市観音堂付近が海柘榴市跡とされていますが、北岸にあったとしたら橋を渡るなどの必要があります。ただ、今の海柘榴市跡は、初瀬川上流の初瀬山で平安初期に土石流が起き、下流で大きな被害が出て、北岸に移った後のものと考えられています。もし出迎えの場所が南岸にあれば、飛鳥までは直接、陸路で行けるわけですから、そのように想定した上で、南岸にある今の金屋河川敷公園に飾り馬のレプリカ等が復元されているわけです。

 大和川の歴史についてお聞きした後は、大和川流域委員会の委員も務めておられる和田さんに、未来の大和川に望むことを伺いました。
和田 僕は田原本小学校3年生の時、王寺町近くの御幸(ごこう)橋のところで泳ぎ、4年生では木津川水泳場(京都府)、5年生になると室生の大野寺近くで泳ました。段々と水質が悪くなり、奈良盆地の中から周辺へと行ったわけです。大和川の汚染は、人口増や住宅密集など色々な原因があると思いますが、致命的なのは、奈良盆地北部の降雨量が少ないことです。しかし、奈良盆地は自然湧水が豊富ですから、それをもう少しうまく利用するなりして、恒常的に大和川の流量を増やす工夫をすることが必要です。大阪府と奈良県が別々に施策するのではなく、大和川を一つの水系として、両方にまたがって治水や水量、水質浄化などを考えていかなければいけません。

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飛鳥川を散策

大和川を舞台にした歴史の話に重みを感じた後、博物館を出て飛鳥川を歩きました。幻想的な飛鳥の山々がよく見え、その紅葉に向けて歩を進めると、右手を流れる飛鳥川の水面には落ち葉がたくさん浮かんでいました。そのすき間から亀がのぞき、また鳥が休む姿が見えて、穏やかでのどかな風景が楽しめました。