亀の瀬地すべり対策地

大阪と奈良をつなぐ要衝は
人々を苦しめた地すべり地域
〜「亀の瀬」の対策現場を見学 〜
2007年6月30日放送

大阪府柏原市の「亀の瀬」地区は、奈良県王寺町との境界近くにあり、その斜面の下方を流れる大和川周辺は、古くから舟運や「竜田越え」の人々でにぎわう交通の要衝でした。今も事情は同じで、国道25号やJRが走り、大和川は大阪と奈良をつなぐ重要なポイントです。しかし、地すべりが起きやすい、危険と隣り合わせの地区でもあり、昭和37年からは国による対策も行われています。

万葉人も恐れた“坂” 

 斜面の下方にある「亀の瀬地すべり資料室」で、国土交通省大和川河川事務所の細川晋(しん)さんにお話を伺いました。まずは地すべりについて。
細川 地すべりは、粘土層などの滑りやすい地層を滑り面として、斜面を構成している土地の一部が、ある程度原形を保ったまま、一体となってゆっくり下に動き出していく現象です。特定の地質で多く発生し、地下水の影響を大きく受けます。地質との関連が少なく大雨の影響が大きい、がけ崩れとは違うものです。

 亀の瀬では、いつごろから地すべりが?
細川 非常に歴史が長く、動いた土の中から約4万年前の木のかけらが見つかっています。また万葉集では、恐れることを意味する「畏(かしこ)の坂」と表現されています。記録として残るのは、明治36年7月、雨で何度も浸水した所に地すべりが発生し、大和川の河床が隆起したというものです。また、昭和6年11月から約32haに及ぶ土の塊が大和川方向に動き始め、翌年7月の豪雨で河床が隆起し、大和川が亀の瀬で完全に閉ざされたという記録があります。当時は右岸側にあった国鉄の亀の瀬トンネルが崩壊し、今の大和川はそこを削り取って復旧されたもので、鉄道も左岸側に付け替えられました。

  一番新しい記録としては?
細川 昭和42年2月、約50 haの大規模な地すべりがありました。国道25号は1mほど隆起し、大和川は250 mにわたって川幅が約1m狭まり、河床も隆起しましたが、ダムのように閉ざされることはなく、雨も少なかったことから、浸水被害は逃れました。


巨大な杭で地層を固定

 国による地すべり対策を教えてください。
細川 抑制工と抑止工を行っています。抑制工は、地すべり地の地形や引き金となる地下水の状態を変えてしまい、地すべりの動きを止めたり緩めたりするものです。排土工、地下水排除工、地表水排除工など、色々な工法があり、まず排土工は、滑り面の上に乗っている土を取り除く方法です。また、地下水排除工は、地すべり地の地下水を集めて水位を下げ、外に出してしまう方法です。さらに、地表水排除工は、地すべり地の中に雨水などをしみ込ませないよう、溝や排水路を造って雨をどんどん外へ流す方法です。



 抑止工とは、どういうものなのでしょう。
細川 構造物を使って、地すべり運動を止める方法です。例えば、斜めの板の上にもう1枚板を置くと、少し力が加わるだけで上の板は滑り落ちますが、上からくぎを打てば落ちません。これと同じような理屈で、地すべりする地面の塊に、巨大な杭を打ち込んで滑らないようにします。亀の瀬では、地すべり面が浅い所に行う杭工(くいこう)と、深い所に行う深礎工の二通りを行っていて、深礎工では、大きなもので直径6.5 m、長さ100 m近い杭を打っています。100 mは30階建てのビルの高さに相当します。

 その他には、どんなことをしていますか?
細川 工事も大事ですが、地すべりの状態を監視する仕事があります。異常気象時に地すべりが起きていないか調べたり、行ってきた対策工事の効果が発揮されてるかどうかを確認したりといったことです。

 どんな風に監視をするのでしょう。
細川 例えば、地表の変化を調べるために、ピアノ線のような細い線を地面に張り、その延び縮みを見ています。また、地面の傾斜具合の変化を調べるため、傾斜計を設置したりもしています。ただ、見て分かる部分もありますが、一見、変化がなくても、地面の中で動いている可能性があります。そこで、直径60mmぐらいの縦穴をいくつも掘り、そこに計測器を入れて動いていないかなどを調べています。また、地下水についても、水位を計ったり、抑制工で対策している排水の状態を調べるために水の量を計ったりしています。

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細川さんと排水トンネルで
大阪と奈良の境界、亀の瀬で行われている地すべり対策についてご紹介しました。お話だけではなく、対策の一つである排水トンネルの中に入って、より詳しく対策の内容を知ることができ、貴重な体験をしました。

「亀の瀬地すべり資料室」と地すべり対策の現場/見学無料、要申込
*大和川河川事務所 072−971−1381