滝行場

流れ落ち川になる水を
見つめる滝のお不動さま
〜瀧谷不動尊と大和川〜
2007年3月24日放送

富田林市の彼方(おちかた)に来ています。西には石川、東には佐備川が流れ、この場所はその中間地点にあたります。今いるのは、近鉄長野線の滝谷不動駅から東へ歩いた瀧谷不動明王寺です。「瀧谷不動尊」として知られるこのお寺には、いくつものお堂があり、その一つに瀧不動堂があります。滝の行場もあり、その滝の水が大和川と関係があるようです。ご住職の荒谷純光さんにお話を伺います。

谷を流れ行者の身体を打つ
清らかな滝の水は大和川へ

 広い境内が道路を挟んで南側と北側に広がっています。この大きなお寺はいつごろの創建でしょう?
荒谷 平安時代の弘仁12(821)年に弘法大師によって開かれたと伝えられています。元は、今の場所より4q程南にある嶽山(だてやま)の中腹にあったということです。ところが、室町時代の正平15(1360)年、南北朝の戦乱時に「嶽山城の合戦」があり、嶽山の下から火を付けられ、お寺も焼き出されたと。その時、お不動様と両脇の二童子さんを避難させて、山のふもとのお滝のほうへ移られたんですが、さらに寛正4(1463)年に戦乱が起こり、お寺が再び焼失。再度、場所を移して現在の所へ来られたということです。

 移動を重ねているのに必ず滝のそばというのは?
荒谷 炎は上へ上がりますけれど、水は下へ下る。水もあって安全で落ち着く下へ下へと逃れて、こちらへおいでになったのだろうと思います。

 このあたりの地名を「滝谷」と言うのは、お不動さんがここに来て、滝がクローズアップされてからですか?
荒谷 昔は、竹の多い地域だったので「竹谷」と言っていたようですが、滝のそばにいらっしゃったお不動さんが移って来られたということで、「滝谷」に変わったんだと私は解釈しています。

 本堂がある北側から南側の境内に来ました。たくさんあるお堂の一つに、滝行をする瀧不動堂があります。
荒谷 皆様、非常に熱心に修行されています。真冬でもお滝を打たれる方のお経の声がよく聞こえます。滝の高さは5〜6mはあるかと。夏はもう少し細くなりますが、打たれるとなかなか痛いんですよ。

 滝が流れて細い流れにつながっていました。これはゆくゆくはどちらの川につながっているんですか。
荒谷 お滝のある場所は、川とも水路とも言えないんですけれど、嶽山の北側には谷筋の流れが何本もあって、大体すべて佐備川へ流れ込んで行きます。佐備川は石川へつながって、そして大和川へ合流し、海まで、という流れをたどっています。





  お滝の所に、「身代わりどじょう」と書かれた木の札を見つけましたけれど、これはどんなものですか。
荒谷 仏教では、捕らえた生き物を自由にする儀式「放生会(ほうじょうえ)」があります。私たちは、食べ物にしても、いろんな命を犠牲にして自分の命をつないでいます。不殺生という教えがありながら、殺生しないと生きていけない。そのことを感謝するために、ここではドジョウを放すと。このお寺は、眼病平癒のご利益で有名ですが、流したドジョウが身代わりになり、放した人の目が救われたという話も伝えられています。捕らわれの身を放すという功徳が、回り回って自分を助けてくれるということで、皆さん、いろいろな願いを込められています。ドジョウは、ご近所の方がお世話をして下さって、年中放すことができます。

大和川の堤防のお不動さまが
水源の瀧谷不動尊へおいでに

 南側の境内には、水掛け不動もありました。このお不動さんは、実は大和川にいらっしゃったと?
荒谷 おそらく35〜36年前のことです。大和川の堤防にこのお不動様がお祀りされていたんですが、その場所が工事に関わるということで、ご近所の方から、このお寺で祀って頂けないか、とお申し出があって、こちらへいらっしゃったと伺っています。

 今日は、大和川の水源の一つであるこの場所で、人々がいかに昔から水を尊んできたかを知りました。それを守り続けているお立場として、大和川、そしてその支流に対して、何か思うことはありますか?
荒谷 水は上で汚せば下は汚れることがありますので、上流におる立場として、水をしっかり大切に、汚さないようにして、この場所で生活をさせて頂きたい。そういう意味では、大和川の堤防にいらっしゃったお不動さんが、上流にあたる場所の川のそばにおいでになって、見張って頂いてるのかなとも、思うところであります。

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昔は大和川の堤防で
お祀りされていた水掛地蔵

皆さんが修行で身体に当てた、清らかなあの水が大和川に行くと知り、いろんな思いが私の中に込み上げてきました。ご住職のありがたいお話の後は、しっかり手を合わせて、「大和川がもっともっとみんなに愛されて、そして美しくなっていきますように」とお参りしてきました。