河川敷での清掃活動の様子

魚や水鳥の楽園
憩いの場となる川へ
〜「大和川を守る会」の清掃活動〜
2006年12月2日放送

大阪市住吉区苅田に来ています。大和川を挟んでこちらが大阪市、対岸は堺市という場所です。川に架かる吾彦(あびこ)大橋の北詰に人が集まってきています。実は、今からここで大和川の清掃活動が行われます。月に1度この場所で清掃活動をしているのは、「大和川を守る会」の皆さん。代表の斉藤佳穂さんと、会を創設された故・高村善夫さんの奥様・高村和子さんにお話を伺います。

近所に声を掛け、立ち上げた
市民が心を通わせる清掃活動

 今日のような清掃活動が会の主な活動ですか?
高村 そうですね。毎月、最終日曜日の午前10時〜11時半頃まで、この吾彦大橋を中心に、川上は行基大橋、川下はJR阪和線鉄橋辺りまでの約2qを清掃します。いつも、平均20人程の方が参加してくれます。

  参加されているのはメンバーの方ですか?
斉藤 メンバーの方が中心ですが、ホームページを見て連絡をくださる方もあります。琵琶湖、淀川水域の方、高槻、京都の山科からも時々お見えになります。

  「大和川を守る会」は、12年前に住吉区苅田の皆さんがつくった市民団体だそうですね。
斉藤 そうですね。高村さんのご主人が非常に川に関心を持たれていて、汚れた大和川を子供たちが遊べる川にしようと、呼び掛けられました。それに町会の方も賛同して、掃除を始めたのです。
高村 主人は、昔から川にすごく愛着があったんです。50歳を過ぎてから、何か社会のために役立つことがあれば、というのがきっかけだったようです。「どこか行こう」と言えば、決まって「大和川!」。大和川へ行くのが何よりの楽しみで、子供たちもそんな一生懸命な姿を見ていて、よく協力してくれました。拾う立場になると、自分でごみを捨てることはない。これも一つの情操教育になったのかなと感じています。

 ご主人が発起人となり、声を掛けていった時、近所の方々の最初の反応はいかがでしたか?
高村 「こんな事しても、大雨が降れば、またごみがいっぱい出て、堂々巡りや。無駄じゃないか」と言う人もありました。でも、段々と奇麗になっていく姿を見て、「やっぱり良かったな」、「続けることが大切だ」という声が今では聞こえるようになりました。

 斉藤さんが、清掃を始められたきっかけというのは?
斉藤 高村さんのご主人に、お酒を飲みながらよく勧誘されていたので。私も昔、美しい大和川で魚や貝をとって遊んでいて、その頃の大和川を取り戻したいという思いがあり、一緒に参加しました。会を結成した頃は、通るだけで悪臭が漂うような汚い川でした。
高村 主人は、とにかく子供たちが安心して遊べる川にしたいと常々言ってました。微力ながら皆さんと協力して、実現させたいと思っております。

 清掃活動が12年も続いてきたのはなぜでしょうか。
斉藤 ボランティア精神を持たれた方が多いことと、年に1回バーベキューをしたり、1月には高村さんの手作りのぜんざいを振る舞ったり、いろいろな「心の団結」をしながらやってこられたからだと思います。
高村 ぜんざいは、1年間の皆さんへの感謝を込めて。「おいしい」って喜ばれるので、毎回100人分ぐらい用意するんです。それもまた楽しみの一つです。





  お二人にとって、大和川とは?
斉藤 「夢」。いつか、ここが子供たちの遊び場、市民の憩いの場となるよう頑張りたいです。
高村 「家族そろって大和川へ行こう!」なんて合言葉でもできれば、こんなに嬉しいことはないですね。


参加者にインタビュー

 自転車で来た女の子に聞いてみましょう。何年生?
女の子 4年生。

 今日は誰と来たの?
女の子 おじいちゃんと。一緒に掃除しようと思って。

 若い男性の方も参加されています。なぜ、この清掃活動に参加しようと思われたのですか?
男性 自分も河川の清掃団体に所属していて、大和川の支流の石川で活動しています。僕たちの団体は、地域に根ざした所だけじゃなく、相互に協力し合うということで、まず自分たちが他の団体の所でお手伝いをしようという意味で来ました。

 地元での清掃活動と比べて今日はいかがですか?
男性 川によってごみの特徴があります。石川は上流で農業をされているので、農業系のごみが多いんですが、大和川は生活系のごみが明らかに多いです。大きな河川なので量もとてつもないですね。


     
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斉藤佳穂さん(中央)と
高村和子さん

皆さん、朝早くから手慣れた様子でごみを集め、中には軽トラックでごみを集めて運んでいらっしゃる姿も見えました。寒い中、こうやって清掃活動をされている姿には頭が下がります。私もこういう活動以外でも、道端でふとごみを見つけた時には、拾えるような人間になっていきたいなと思いました。