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毎回、大阪を拠点に活動しているNPO法人やNGO、ボランティア団体、そして大阪のいろいろな地域で活躍している方やその地域の活動内容を通して、大阪の「ひと」や「まち」の魅力を発見していきます。
たくさんの人に知ってほしい大阪を魅力いっぱい、情報満載でご紹介していきますので、みなさんご期待ください。

2006年9月30(土)放送

オダサクのユーモア精神にならい、
オダサクをダシに、
あれこれ面白いことを仕掛ける。
〜『オダサク倶楽部』〜

今回は、『オダサク倶楽部』の活動をご紹介します。オダサクとは、ご存じ作家の織田作之助のこと。『夫婦善哉』をはじめ、大阪では井原西鶴と並んで、大阪を代表する作家と言えます。30代の若さでこの世を去っていますが、普通に生きていれば、おそらく“文豪”と呼ばれるようになったと言われる程、才能溢れる作家でした。“研究会”ではなく、あえて“倶楽部”にこだわる、『オダサク倶楽部』仕掛人の井村身恒(いむら みつね)さんに、詳しいお話を伺います。



●インタビュー前半

藤原:『オダサク倶楽部』は、片仮名でオダサク、漢字で倶楽部と書きますが、片仮名にされているところに何か意味があるのですか?
井村さん(以下、井村・敬称略):“織田作”っていうニックネームは、織田作之助本人が「田吾作みたいで嫌だ」と、いつも言っていたようですが、面白いことに彼は手紙の中で、織田作と自分で書いて、カタカナで“オーダーメイド”とルビをふったりしているんですね。「既製品じゃないぞ」ということだったと思うんですが、そういうイチビリ精神、これを継承したいということで、織田作をダシに、いろいろ面白いことをやっていこう、ついでに大阪の町ももっと面白くなったらいいんじゃないかと。そういう“オダサク主義”でやっています。

藤原:大阪を舞台にした文学作品はたくさんあります。中でも井原西鶴と織田作之助だけは、大阪のにおいがプンプンすると思うのですが、織田作之助はどこで生まれて、どんな生い立ちを経た方なんですか?
井村:彼は上町の旧制高津中学校(現・高津高校)の出身で、生國魂神社のちょうど真ん前で生まれ、長屋で育ちました。織田作之助が井原西鶴のことを、「大阪で生まれ、大阪で育ち、大阪で書き、大阪で死んだ」というふうに書いていますが、多分、自分もそれになぞらえていたんだろうと思いますね。

藤原:『オダサク倶楽部』というのは、これまでどのような活動をしてこられたのですか?
井村:最初に2回、『織田作映画祭』という大きな映画祭を開催しました。「これからは映画だけやなしに、織田作さんに関わることやったら、何でもいろいろとやろうやないか」と。そういう織田作ファンクラブみたいなものが始まりでした。これまでに、“織田作サロン”というのをやってきました。織田作さんは意外なことにクラシック音楽が非常に好きだったんです。

藤原:ああ、そうでしたか。
井村:会員に蓄音機のコレクターがいて、昔のSPレコードでコンサートをしたり、織田作さんが好きだった文楽の勉強をしたりしています。この前も、文楽劇場で上演された『夫婦善哉』を、会員が一緒に見に行ったり、去年は松竹座で、藤山直美さんと沢田研二さんが出演した『夫婦善哉』を大挙して見に行ったりしました。また、別府は、織田作さんの『夫婦善哉』に出てくる“蝶子さん”のモデルになった織田作さんのお姉さんの千代さんが駆け落ちをした所でもあり、織田作と大変ゆかりがある所で、『別府オダサク倶楽部』というのがあります。その別府への“オダサクツアー”もやってます。それから、『路地裏散歩』というものも今まで何回もやっており、これにひっかけて織田作さんの作品にちなんだ、織田作銘菓を作ったりもしています。

藤原:いろいろ盛りだくさんですね。
井村:はい。いわば“オダサク・テーマパーク”といった感じで、今言ったのは、ごく一部ですよ。


●スタジオ

藤原:本当に井村さんは、織田作之助について詳しい方で、いろいろとお話を伺って楽しかったですね。府立高校の先生をされているということもあって、お話上手なんです。仕掛人となった井村さんは、会員ナンバーが2番目なんですって。「1番目は誰ですか?別に代表の方がいらっしゃるんですか?」って聞きましたら、ナンバー1は、織田作之助自身。もちろん『オダサク倶楽部』は亡くなってから作られたんですが、天王寺区城南寺町にある楞厳寺(りょうごんじ)にお墓があるんですね。そこのご住職の田尻玄龍(たじり げんりゅう)さんという方が、織田作之助と高津中学の同級生だったそうなんです。現在も93歳で元気に活動され、その方も会員(顧問)なんですよ。ですから、織田作之助さん本人もまだ生きていることにしておこうということで、永遠に会員ナンバー1だそうです。

松本:ほー、野球の永久欠番じゃないですけども、その1番だけは、なるほどね。

藤原:そうなんですよ。会員は100人ぐらいいらっしゃいます。大阪には60人ぐらいで、他に、名古屋や別府などにたくさんいらっしゃいます。織田作之助にゆかりや愛着を持つ人たちが会員になって守っているということなんですね。

松本:織田作之助への思いが伝わってきますね。

藤原:そうですよね。本当に若くして、33歳で亡くなった織田作之助ですが、作品を読んでいても、本当に大阪が好きなんやなっていうことがよく分かりますよね。そして、織田作之助の命日が1月10日なんですが、この日は・・・

松本:えべっさんの日ですね。

藤原:そうなんですよ。でも残念ながら亡くなったのは東京なんです。

松本:そうなんですか。

藤原:東京で亡くなったのですが、それでも1月10日に亡くなったというのは、何かやっぱり大阪に対する思いがすごくあったのかなと思いますね。

松本:何かゆかりがあるんでしょうね。

藤原:後半は今後の展望などについても伺っていますのでお聞きください。



●インタビュー後半

藤原:これからの活動の予定はありますか?
井村:11月の4日と5日、三連休中の土日に、織田作の生まれ育った上町の夕陽丘界隈で、4日にフィールドワークを行います。会員の中に天王寺の語り部をされている村松さんという方がいらっしゃいます。地元のガラス屋さんなんですが、話芸の上手な方で、今まで何度も町案内をしていて、大変人気のある方です。この村松さんに、織田作さんの文学碑のある口縄坂をはじめ、七坂からいくたまさんの方面まで歩いて案内してもらいます。また、松尾芭蕉も来たという江戸時代から続く有名な料亭『浮瀬(うかむせ)』がありまして、ここも織田作さんと深い関係があります。明治時代の話ですが、織田作さんのお父さんが、この『浮瀬』で板前としてお勤めになられていました。これは織田作さんのお母さんと結婚される前の話ですが、ここの女将さんとの間に一人お子さんを作られています。結婚は不幸にして途中で終わりますが、織田作さんには、母親違いの兄がいたと。そのお兄さんの子どもさん、つまり織田作さんから見ると甥御さんが今も健在です。西井さんという方で私どもの会員で5日の日に『浮瀬』と織田作さんの知られざる関係を存分に四天王寺で語っていただこうと思っております。それに四天王寺の知られざる歴史を加えて、5日に四天王寺でリレートークを行います。両日ともお弁当が付きますが、これも織田作さんにゆかりのある仕出し屋さんに作ってもらいます。

仕掛人
井村身恒さん

中之島まつりでの
中之島文学散歩の様子。
ナビゲーターは井村身恒さん

織田作銘菓『柳吉蝶子恋のゆくえ』

織田作が愛した味を現代に復活させて
限定で生産した『オダサク珈琲』

織田作好みのSPレコードを披露

織田草之助(おだ くさのすけ)こと
高橋俊太郎(たかはし しゅんたろう)氏の
蓄音機コンサート

なにわことばで語る織田作の小説。
主催は中井正明(なかい まさあき)
さんと、柴田和子(しばた かずこ)
さん

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藤原:なかなか面白そうな話が聞けそうですし、またそのお料理も楽しみですね。
井村:そうですね。『浮瀬』は、料亭でしたから、そのよすがをしのぶ特製料理を作っていただいて、天王寺ゆかりの天王寺かぶらもここで使う。そういう特製料理を用意していただく話にもなっています。

藤原:その他に、今後やっていこうという計画はありますか?
井村:非常に大きな計画なんですが、大阪を愛する諸団体と協力して映画を作りたいと思っています。言ってみれば大阪のヒーローである織田作さんを復活させたい。彼は、深く深く愛した愛妻の一枝さんをガンで亡くしていますが、その時の闘病の小説なども残っておりますし、そういうものをネタに、面白くはんなりした映画にできたらなあというふうに思っています。



●スタジオ

藤原:実は来年の1月10日が織田作之助の60周忌なんですよね。織田作之助は、音楽も好き、食べ歩きも好き、町歩きも好き、と本当にマルチな才能を持っていたので、『オダサク倶楽部』としても、その織田作之助にちなんでいろいろな方面に興味を持って、きっと60周忌に向けても大きなイベントなども予定されているんだと思います。映画の話もありましたけれども、監督の金秀吉(キム スギル)さん曰く、大阪はとっても夕日が奇麗な町なんだそうです。だから、そうした大阪にちなんで、奇麗な夕日なども背景に印象深い作品を作っていきたいということです。どういった作品になるのか、楽しみですね。

松本:確かに、『夫婦善哉』など、織田作之助の作品の映画もいいですが、この人自身の生き様を描いたら、楽しい映画になりそうな気がしますよね。

藤原:『オダサク倶楽部』の活動に興味を持たれた方は、『オダサク倶楽部』事務局までお問い合わせください。


お問い合わせ/
『オダサク倶楽部』事務局
TEL072-236-6465


● 取材を終えて、感じたこと

若くしてこの世を去った織田作之助ですが、ユニークな生き方をされていただけに、もし長生きしていたら、どんな作品を残してくれたことでしょうね。
『オダサク倶楽部』の皆さんも、織田作之助の生きざまをなぞる様に、楽しい企画をいろいろと立てておられます。
新聞記者時代の知り合いから当時のオダサクについて聞き、今後の新しい計画に役立てていきたいということですので、来年の60周忌のイベントも面白くなりそうですね。


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