●インタビュー前半
藤原:『なにわ語り部の会』の活動の概要からまず教えてください。
村田さん(以下、村田・敬称略):私たちは大阪市内の図書館6ヶ所と、市内の高齢者施設で、毎月、お話の語りをサービスしています。中でも、大阪赤十字病院の付属の大手前整肢学園では、長年にわたってお話を楽しんでいただいています。また、大阪市ではありませんが、豊中市の知的障害者の施設にも、お話サービスに伺っています。“素語り”が中心ですが、できるだけお話を一緒に楽しんでもらいたいので、思いを込めて語りをしています。
藤原:そのお話というのは、どういったものですか?
村田:日本の昔話もありますし、外国の昔話もあります。今では、西アフリカの昔話を得意な分野にしている会員もいます。もちろん創作童話も、その中に入れたりしています。
藤原:『なにわ語り部の会』は、いつごろ、どのような経緯で、できたのですか?
村田:語り部の著作物などもたくさん出している禅定正世(ぜんじょう まさよ)さんが、1970年代後半に、初めは高校生を対象に語りの講座を始められたと聞いています。そのずっと以前から禅定先生は、大阪の淡路で、『親星子星(おやぼしこぼし)』という文庫を、始めていらっしゃいました。「高校生はいずれ親になるから、その時に、子どもたちにお話を語ってもらえたら…」ということで、大阪ボランティア協会の講座として、『お話語り手養成講座』を始められたそうです。その講座を受けた人たちが、せっかく勉強した語りを、なんとかしてみなさんに聞いてもらいたいと思い、それが『なにわ語り部の会』を誕生させるきっかけになったと伺っています。
藤原:そこで入った方たちが、今の会のもとになっているわけですね。
村田:はい。
藤原:禅定さんは、どのような方ですか?
村田:私は、語り部講座の20期生なんですが、禅定先生はそれまでずっと講師をなさっていました。その後も、“姥語(うばがた)り”という形でみなさんにお話を広めたいというご意思があり、今は滋賀県の高島市でNPO法人を立ち上げ、そちらで活動をされています。
●スタジオ
藤原:お話にもありましたように、形は“素語り”。だから特殊な服を着るわけではなく、人形なども全くなし。見た目は地味ですが、本当に語り一本で勝負されています。
松本:村田さんの話される口調自体がもう語り部っていうかね。
藤原:そうでしょう。普段から、雰囲気出ていますよね。
松本:ありますね。
藤原:毎月、定例会を行い、そこで新たな情報交換をしたりして、次の話の展開に持っていくよう勉強されています。会員のみなさんは140〜150人ぐらい登録されているのですが、実際に活動しているのは半分ぐらい方で、女性が多いそうです。でも、その中で貴重な存在として男性が2〜3名いらっしゃるということで、「もう、ずっといてて」とおっしゃっていました。
松本:いろいろな方がいてレパートリーも豊富という感じですが、その中でも男性は少ないから、男性の話っていうのは貴重なんでしょうね。
藤原:みなさんすごく意欲的な方ばかりで、中には『なにわ語り部の会』に登録しながら、また別に、例えば東大阪や松原、箕面など、自分の住んでいる地域にも活動を広げていらっしゃる方や70歳を越えた会員の方もいるそうです。また、秋田弁で語りをする会員さんもいて、『なにわ語り部の会』といっても、大阪弁ばかりではないそうです。そして、一番大切にされているのは、奇麗にしゃべらなくてもいいから、自分の言葉を大事にしながら、個性を出しましょう!ということ。後半部分は具体的にお話の内容なども聞いてますので、お聞きください。
●インタビュー後半
藤原:大阪に伝わる昔話には、どんなものがあるのですか?
村田:一番ポピュラーなのは、淀川に架かる長柄橋の人柱のお話。面白いものですと、天満のとらやんや、阿弥陀池のタヌキのお話とか。また、大阪府下のものでは、犬鳴山に伝わるお話や、くらわんか舟のお話などがあります。
藤原:せっかくですので、よろしければ、大阪を舞台にした昔話を村田さんの大阪弁でお願いしていいですか?
村田:はい、分かりました。じゃあ、『ムカデのおつかい』を聞いていただきたいと思います。
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