新之介さんと「十三渡し跡」にて

 大阪の町々を歩き、その歴史などを丁寧に調べてブログで情報発信している有力ブロガーの1人、新之介さんが、生まれ育った十三の町に戻ってきたのは結婚して家庭を持ってからのこと。その時点ではまだ、特に十三の歴史に興味があったわけではなかったそうです。しかし、たまたま見つけた「思い出の十三イラストマップ」という戦前の十三の様子を手書きで描いた地図を見て、今とは道も全然違い、牧場や馬小屋、池などがあるその姿に興味を引かれ、祖父が戦前に米穀店を開いて以来の縁となる十三のことをもっと知りたいと思い、自分なりに調べてみようと思い立ったそうです。
 新之介さんのブログ「十三のいま昔を歩こう」 で情報発信しているのは、今や十三に限らず、大坂市域北部を中心とする広いエリアに及んでいますが、新之介さんは、どの町でも明治時代に出来た陸軍参謀本部陸地測量部(現在の国土地理院)による測量地図を手にして歩くとのこと。当時は区画整理がされておらず、地図には昔の街道がそのまま描かれていたりし、それに沿って歩くと、そこには地蔵や神社仏閣などの古いものが残っていて、新しい発見へとつながるのだそうです。

十三焼(商品写真は新之介さん提供)

 新之介さんによると、十三駅のある所は、元々の十三があった地域ではなく、今里村など小さな集落がいくつかあっただけだったとのこと。元々の十三は新淀川開削の際に消滅してしまったそうです。十三の名が復活したのは明治43年に箕面有馬電気軌道(現在の阪急)が新淀川の北側堤防上に十三駅を設置した時で、その後、駅が今の場所に移転したのだそうです。また、大正14年にこの辺りが大阪市に編入された際、「十三東之町」「十三南之町」など地名としてもよみがえったとのこと。
 さて、いよいよ新之介さんとの町歩き。まずは阪急十三駅西口改札前にある「十三焼」の看板下に案内されました。残念ながらこの日はお休みでしたが、そこは今里屋又兵衛(十三駅前店)という有名店。創業は1727年で、本店が元々、十三大橋の北詰近くにありました。新淀川開削前に流れていた中津川には、橋の代わりに十三の渡しがあり、その北側と南側の近辺には茶店がいくつかありました。南側の店では「十三焼き餅」、北側の店では「餡焼き」を売っていましたが、今里屋久兵衛は北側にあって餡焼きを売っていたのですが、それを今も十三焼として売っているのだそうです。

元々の十三は河川敷のグランドか
その先の川底辺りに埋もれているとのこと

 次に訪れたのは、十三大橋北西詰にある「十三渡し跡」。新淀川開削前に流れていた中津川にあった十三の渡しの北側乗り場は、ちょうどこの石碑の辺りにあったという。ただ、川の北側は集落が少なかったのに対し、南側には元々の十三の集落があり、最も栄えていたエリアだったそうです。そこは今、淀川北岸の河川敷公園になっています。
 渡しは、明治11年、南側にあった成小路村が十三橋という私設の木橋を架けたため姿を消しました。今、十三の渡しの名残をとどめるものはなにもなく、あたかもこの石碑が眺めているかのような位置に広がる河川敷公園の野球場の下に、旧十三のにぎわいが埋もれるばかりです。
 なお、以前ここにあった今里屋又兵衛の本店は、少し前、近くに移転しました。

十三思昔会の碑

 十三大橋を渡り、北区中津にある富島神社へ。ここには、なくなってしまった昔の十三の名残がいくつかありました。例えば「十三思昔会の碑」は、新淀川開削で町がなくなり、ばらばらになった元々の十三の人が昔を懐かしんで会を作り、ここに碑を建てたものです。また、神社正面にある大きな鳥居は、元々の十三にあった鷺島神社の鳥居で、新淀川開削の際に鷺島神社がここに合祀され、鳥居も移築されたもの。これはガイドブックにも載っていない情報なのだそうです。
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 昔から交通の要衝であり、歓楽街、しかも下町と、新之介さんにとって十三は、色々な顔を持つ町。地域の歴史を知ることにより好きになってきている町でもあるそうです。町歩きは、名所旧跡をたどっても楽しいが、図書館に行き、自分が住んでいる町の昔の地図を探してコピーし、それを手に歩いてみるのも楽しいという。最後にタウンウオッチャーの達人、新之介さんからそんなアドバイスをいただきました。