初世中村雁治郎生誕の地碑の
説明を聞く参加者

 この番組に登場した皆さんや大阪市コミュニティ協会、ラジオ大阪が一緒に進めている「大阪ひと・まち魅力発見事業推進会議」主催のまち歩きツアー、「大阪新町、堀江 今昔ものがたり〜未来へ繋がる大阪発見ウォーク」が11月21日(日)に行われました。今回はその様子をご紹介します。
 ツアーガイドを担当したのは、今年3月27日の放送に登場した関西下町探索会“K2ファクトリー”の横田健司・香織さん夫妻。藤原宏美は香織さんが率いるグループに同行して取材しました。香織さんによると、大阪市西区の新町や堀江には、新しい時代を切り開いた歴史的スポットや、大阪のまちづくりに関係したスポットが多く、その時代その時代における「未来」へと繋がった場所を見て歩くツアー内容になっているとのこと。
 ツアーは新町北公園に集合した人たちが、まずは歌体操ボランティアグループ「ふじの花(2005年10月1日の放送に登場)」の指導のもとで準備体操を行ってからスタート。最初に訪れたのは、新町北公園内にある新町九軒(くけん)桜堤の跡碑でした。ここからなにわ筋にかけて、かつては多くの桜が並んでいて、新町郭の中でも格式の高かった九軒町は夜桜の名所としても知られていたそうです。新町九軒桜堤の跡碑の隣に建つ千代女の句碑、公園を出てすぐのところにある初世中村雁治郎生誕の地碑を見ると、なにわ筋へと出て出版物取次販売会社の大阪屋へ。大正11年、ここに芸妓達の歌舞練場である「新町演舞場」が建てられましたが、今も残るその一部を大阪屋は社屋の一部として使っています。

細野ビルヂング

 長堀通に出て、白髪橋、鰹座橋という土佐藩と関係の深い交差点を通り、鰹座橋近くにある細野ビルヂングへ。御堂筋や築港をはじめ大阪の道路や橋などを造ってきた土木建築会社・細野組の本社ビルとして昭和11年に建てられたこの建物。当初は建て替えを考えていた三代目の細野房雄さんが、その存在感に圧倒されて改修・保存を決意。自ら天井を塗り直すなど少しずつ改修を続けました。そして、2003年に「66展」を開催したのを皮切りに、アートの情報発信基地として場所を提供し続けています。
 現在は使われていない社長室は昭和11年当時のままに保たれていて、この日は中に入って見ることができました。見学者には気軽に開放する細野さんですが、ご自身は一度もこの社長室の椅子に座ったことがないそうです。

夕霧もなか

 細野ビルヂングの後は、西区民センターに立ち寄って一休み。お茶とお菓子をいただきましたが、そのお菓子は新町にある老舗、廣井堂の「夕霧もなか」。店主の小澤康雄さんによると、新町が花街として華やかだったころに一番の有名どころであった夕霧太夫をモチーフにして作られたお菓子だとのこと。新町の歴史を知るウオークにふさわしいものとして選んでいただいたようです。廣井堂は明治10年創業、この夕霧もなかも戦前からある銘菓なのだそうです。
 さくさくの皮にずっしりと入ったあん。作り置きはせず、お客さんからの注文を聞いてから詰めるているそうです。もちろん、添加物は一切使わず、国産の材料にこだわっているのは、すべての商品に共通のことだとか。少し歩き疲れた藤原には、格別の味となりました。

土佐稲荷神社

 堀江での最初の見学スポットは土佐稲荷神社。江戸時代、この一帯には土佐の蔵屋敷が建ち並んでいて、その中に小さな稲荷神社があったそうですが、享保2年に藩主の山内豊隆がここに社殿を造営しました。
  この神社、あちこちに三菱のマークがあります。実は、この東側に三菱の創業者である土佐藩士・岩崎弥太郎の邸宅があり、そこで三菱の前身である三菱商会が設立されました。やがて土佐稲荷神社も弥太郎の所有となって建て替えられましたという歴史を持っています。その後、戦争で焼けましたが、戦後に復興されました。

オレンジストリート

 最後はオレンジストリート。家具の町・立花通として栄えた道でしたが、今はブティックやカフェなどが建ち並ぶ若者のまちへと変身。まちづくりという面でまさに未来へと繋がった道であると言えます。この日もアメリカ村などから流れてくる若者たちでにぎわっていました。