処分された猛獣のはく製
「戦時中の動物園展」にて

 アジア・太平洋戦争が激化すると、物資が不足し、日本の動物園では飼育が困難な状況になりました。天王寺動物園では、昭和17年にえさ不足により2頭のゾウが相次いで死に、キリンやカバもやせ細り、起きあがれなくなって息絶えました。さらに、昭和18年になると、猛獣を処分しなけらばならないことに。空襲により檻が壊れ、猛獣たちが逃げ出す心配があったからです。責任者だった寺内信三園長は、可愛がってきた動物たちを自らの手で殺さなければいけないことに思い悩み、5キロも痩せてしまったそうです。
 「戦時中の動物園展 」(8/10〜15開催)の会場で、そんな悲劇についてお話を伺ったのは、天王寺動物園保健主軒で獣医師の高橋雅之さん。高橋さんによると、処分されたのは10種26頭。ほとんどが、強い毒性のある硝酸ストリキニーネを入れたえさを食べて死にましたが、ヒョウだけはそのえさをはき出してしまったため絞殺されることになりました。飼育係だった原春治さんは、ロープを持って檻に入り、なでるといつものように喜んだヒョウの首にそのロープをかけ、檻の外でロープを持っている人に合図をするとすぐに外に飛び出したとのこと。その後、檻に戻った原さんが見たものは、苦しかったのか、爪を全部出していたヒョウのなきがらでした。

戦意高揚のために利用されたリタ

 「私たち獣医は、麻酔銃を撃ったりするため動物に嫌われていますが、飼育係は家族以上に動物を可愛がります。動物の処分は家族を殺すようなもの」と、その辛さを推し量る高橋さんは、昭和16年の日米開戦前のことも語ってくれました。それは、 戦時中の動物園展にはく製が展示されているチンパンジーの母子のこと。リタは戦前、天王寺動物園のスターと言われたほどの人気者。しかし、軍国主義下でのプロパガンダに利用され、軍人のスタイルをさせられたり、ガスマスクを着用させられたりして、戦意高揚のために一役買わされたそうです。そんなリタは、昭和15年、死産で子供を産んだ後の肥立ちが悪く、子供とともに天国に召されました。
 今回の展示では、動物たちのはく製のほか、戦時下での動物たちの様子を紹介する写真や新聞記事、戦争に関連する遺物なども並んでいます。

「ゾウのすむ森」

 後半は展示会場を出て、高橋さんに天王寺動物園の見どころを案内していただきました。天王寺動物園では、動物の生息地の環境を再現したところに動物を展示する「生態的展示」に力を入れているとのこと。連れて行っていただいたのは、ゾウのすむ森。ここは、タイのチャーン・ヤイ山国立公園の様子を再現していて、アジアの熱帯雨林と非常に樹種が近い木々の生い茂る中、つくりものの岩やヘビなどの生き物、ゾウの足跡やゾウに踏まれたサソリなどもあるという手の込みよう。そこに、2頭のゾウ、ラニー博子(インド、1969年生まれと推定)と春子(タイ、1948年生まれと推定)がいます。
 開けたサバンナにすむアフリカゾウと違い、アジアゾウは森林にすんでいて、木の中を通り抜けるため体が丸く、暑い昼間には木陰にいるのでラジエーター機能を持つ耳が一回り小さいのが特徴だとのこと。

ゾウの春子

 ところで、戦後、大阪や東京の子供達は、列車を仕立てて東山動物園(名古屋)までゾウを見に行きました。いわゆるゾウ列車です。しかし、やがて東京の上野動物園にゾウがやってきました。豚やアヒルなどの家畜類ばかりが残り、動物園ではなく“静物園”だなどと揶揄された天王寺動物園。大阪の子供達は、「天王寺動物園の人は交渉が下手なのではないか」と大阪市長に直談判し、天王寺動物園にもゾウを入れてほしいと願い出ました。
 そんな思いが通じ、昭和25年にやってきたのがゾウの春子。今も子供達の人気者として生きていますが、年のせいか左目は白内障で見えません。しかし、春子が来たのをきっかけに、天王寺動物園は復興に向かっていきました。春子はその様子をずっと見続けてきたのです。戦時中の動物園展でも分かるように、動物園は平和があってこそ成り立つもの。「その意味で、春子はまさに平和の象徴であり、これからもずっと長生きしてほしい」と、高橋さんは最後を締めくくってくれました。

*尻尾と足でご挨拶?春子の動画→こちらをクリック

動物慰霊碑

天王寺動物園には動物慰霊碑があります。
昭和32年、動物愛護会によって建てられました。
戦争で犠牲になった動物たちはもちろん、ペットなども含めたすべての動物に対する慰霊の意味が込められているそうです。

特別企画展「戦時中の動物園展」
■開催期間 8月15日(日)まで
■開園時間 9:30〜17:00(入園は16:00まで)
■入園料  500円
*ただし、中学生以下、大阪市内在住65歳以上、身体障害者手帳等をお持ちの方は無料