高島さんと
御伽衆の法被を着ていますが藤原宏美は御伽衆ではありません

 
 7月24日と25日の2日間の開催だと思われている天神祭、実は6月下旬(今年は26日)に行われる「装束賜(たばり)式」という神事からスタートする1ヶ月ほどのお祭です。意外と知られていない天神祭について、正確に、興味深く説明してくれるのが、「天満天神御伽(おとぎ)衆」。大阪天満宮文化研究所研究員で大阪大学招聘教授の高島幸次(こうじ)さんが、10年ほど前から養成を始め、現在、約20名が活躍している公式ボランティア・ガイドです。全員、「天満天神御伽塾」で90分の講座を10数コマ受け、天神祭及び天神信仰の内容や歴史などについて学ぶものの、誰しもが「御伽衆」になれるとは限らず、ボランティア・ガイドに適した人柄を持つ人だけが選ばれる。現在はOLが中心層とのこと。
 高島さんによると、日本三大祭と言われる祭のうち、天神祭は歴史(平安中期〜)の古さで祇園祭(室町〜)や神田祭・山王祭(隔年開催、江戸〜)とは比較にならず、本宮祭に集まる100〜130万人という数字も1日の人出としては他を圧倒しているとのこと。それだけに、大きすぎてほとんどの人たちが天神祭の趣旨をよく知らない。その時期、超多忙の神職たちがガイドをするわけにもいかないので、そういう人を育ててほしいと大阪天満宮の宮司から依頼されたのをきっかけに、高島さんはボランティア・ガイドの養成に着手しました。

境内で御迎人形などについてガイドする御伽衆
写真提供:天満天神御伽衆

 

 7月25日の本宮祭当日、御伽衆は船渡御の船に乗って天神祭や船の説明をしますが、100隻ほどの船渡御の船は大きく二つのグループに分かれます。天神橋から上流に向かい、都島駅に近い飛翔橋でターンして帰ってくるのは、神様を乗せた4隻の奉安船(御羽車奉安船、御鳳鳳輦奉安船、鳳神輿奉安船、玉神輿奉安船)と、それを護るために地元の氏子たちが乗る数十隻の供奉(ぐぶ)船。一方、飛翔橋から下流に向かって天神橋でターンするのが奉拝船で、反対側から来る神様の船をお迎えして拝むために出しています。これには協賛企業や公募で集まった市民が乗りますが、御伽衆が乗り込むのはほとんどが企業から依頼された奉拝船の船上で、10人(10隻)程度。依頼はもっとあるそうですが、天満宮境内でのガイドや、OMMビル北側の観覧席でのガイド、さらには陸渡御でのガイドなどもこなさないといけないため、10人程度が限界だそうです。
 なお、天神祭のほかにも、秋の流鏑馬神事や春の梅祭でのガイド、小学校などに出向いてのガイドなどもこなす御伽衆。もちろん、日程があえば一般の人がグループ単位でガイド依頼することも可能です。ボランティアなのでガイド料は無料ですが、運営費の足しにとお志を出してくれる皆さんも多いそうです。

天神祭・陸渡御
狭い道(老松通)を行くためすぐ近くで見られる


 大阪人にとってあこがれの船渡御の船に乗ると、一体、どんな気分が味わえるのでしょう。「岸や橋に集う100〜130万人の中心にいる感じがします。甲子園球場のマウンドに立って三振を奪っても、せいぜい5万人に見られるだけ。こちらは130万人です(笑)」と高島さん。
 そんな高島さんが感じる天神祭の魅力の一つは、祭をしている人と集っている人たちとの間に生まれる一体感。供奉船と奉拝船がすれ違う際、手打ち(大阪締め)をするが、それだけでなく周辺の人たちとも手打ちをするという。「源八橋の皆さん、ご一緒に!打ちまひょ、パンパン。も一つせ、パンパン。祝うて三度、パパンのパン」という具合。
 また、よく言えば大阪人のフレキシビリティ、ぶっちゃけて言うといい加減さ、「おもしろがり」な点も天神祭を盛り上げているという。天神祭は大阪天満宮が創建された2年後の951年に行われた、流した鉾が流れ着いたところでお払いをするという神事が始まり。しかし、江戸時代の初めごろには雑喉場(ざこば・現在の西区)に御旅所を造って、そこまで船渡御をする方式になり、さらに後に戎島(西区)、松島(西区)へと御旅所が移動。しかも、戦争による中断から明けた戦後には、デコレーションを施した船が地盤沈下のために大江橋(市役所北側)をくぐれなくなったため、今度は天神橋から上流方向に船渡御をすることに。もしも同じようなことが祇園祭に起きたら、おそらく大江橋は陸上を行こうということになったことでしょう、と高島さんは大阪人の柔軟性を称えます。
大将軍社
お社は南向きだが石畳は斜め


 
天神祭を2倍、3倍に楽しむ方法をお聞きしたところ、(天神祭初心者は)最初の年は陸渡御を見るべし、とのこと。大阪天満宮を出た行列は、陸渡御をした後に天神橋北詰から船に乗るが、船渡御は岸から見ると距離がある上、暗いので分かりにくい。しかし、陸渡御は狭い道(参道の老松通)を通るので近くで見ることができ、そこでどういう行列があるのかを知っておけば、船渡御もたっぷりと楽しめるというわけ。納得の藤原宏美でした。

 さて、天神祭についてお話を伺った後、大阪天満宮境内にある「大将軍社」のお社に案内された藤原。その由来などについて興味深いお話を伺いました。大阪天満宮の境内には、本殿以外にたくさんのお社があるが、他が「末社」と呼ばれているのに対し、ここだけは「摂社」という本殿と横並びに近い扱いを受けています。実はこの大将軍社、大阪天満宮創建の949年より遥か前の650年の創建。大化の改新により出来た都、難波長柄豊埼宮の西北を守るために造られたのだとのこと。お社は本殿や他の末社同様、南向きに建てられているものの、その前の石畳は斜めになっています。その理由を聞いた藤原は即座に納得。この延長線上に難波長柄豊埼宮が位置しているのです。でも、毎日のようにここに参拝している人も知らない事実。それを語り伝えていくのも天満天神御伽衆、というわけです。