「大正区まち案内人協会」代表の松田邦雄さんは、7年前に当時の区長と知り合い、お互い歴史好きであることに意気投合し、「大正区の歴史を語る会」を7人でつくりました。そして、大正区の七つの地区ごとに名士や歴史に詳しい方を招いて講座を行い、その内容を「大正区の歴史を語る」という本にまとめ、1000冊発行しました。今も2ヶ月に1度のペースで、80代の“歴史の生き字引”のような方を招き、お話を伺っています。メンバーは今、12人。 |
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桂小五郎は尻無川で捕まり、助け出された。大坂冬の陣は大正から始まった。遊女430人を数える大遊郭が三軒家にあった(後に堀江に移される)、など、ほとんど知られていない歴史が大正区にはいっぱい。第1次世界大戦後、中国にいたドイツ人捕虜を収容するため、大正区には「大阪俘虜(ふりょ)収容所」が造られましたが、760人の捕虜の中には、アジアで初めてベートーベンの第九「歓喜の歌」が演奏された時の指揮をしたヘルマン・ハンゼンや、バウムクーヘンでお馴染みのカール・ユーハイムといった人たちがいたことも分かりました。なお、第2次世界大戦時には、オーストラリア人捕虜の収容所も造られました。 |
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お話を伺った後は、松田さんにとっておきのポイントへと案内していただきました。まず訪れたのが、以前、大正運河だったところ。今は埋め立てられ、一部が大阪港の内港として使われていますが、桟橋が独特な雰囲気を持っています。 |
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次に訪れたのは、木津川飛行場跡。ここには日本で最初の公設飛行場がありましたが、滑走路は陸上にはなく、木津川上を滑走する水上空港でした。4人乗り、8人乗り、12人乗りの飛行機が飛んでいましたが、機体は起重機船(クレーン船)で木津川上へ運ばれ、乗客は係員に肩車されて浮かんだ機体へと乗り込んだそうです。有名人もたくさん利用した飛行場だったため、スターを肩車した男性の体験談も松田さんは聞いているそうです。 問い合わせ: |
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