今回は松田邦雄さんと大正巡り

  「大正区まち案内人協会」代表の松田邦雄さんは、7年前に当時の区長と知り合い、お互い歴史好きであることに意気投合し、「大正区の歴史を語る会」を7人でつくりました。そして、大正区の七つの地区ごとに名士や歴史に詳しい方を招いて講座を行い、その内容を「大正区の歴史を語る」という本にまとめ、1000冊発行しました。今も2ヶ月に1度のペースで、80代の“歴史の生き字引”のような方を招き、お話を伺っています。メンバーは今、12人。
 その後、大正区まち案内人協会を発足させましたが、案内人になるためには、まず区役所で6回の講座を受けます。すると区長から案内人としての認定書が発行されますが、勉強はここからで、月に1度の研究会や勉強会に参加し、大正区の歴史に関する知識を深めていきます。約30人が参加しています。
  この二つの会の活動を通じ、松田さんはこれまでに3050人の皆さんにインタビューし、図書館で調べても出てこない、大阪市史や大正区史にも載っていないような、“とんでもない歴史”を掘り起こしてきたそうです。


ブラック・レインのロケが行われた製鋼所

 桂小五郎は尻無川で捕まり、助け出された。大坂冬の陣は大正から始まった。遊女430人を数える大遊郭が三軒家にあった(後に堀江に移される)、など、ほとんど知られていない歴史が大正区にはいっぱい。第1次世界大戦後、中国にいたドイツ人捕虜を収容するため、大正区には「大阪俘虜(ふりょ)収容所」が造られましたが、760人の捕虜の中には、アジアで初めてベートーベンの第九「歓喜の歌」が演奏された時の指揮をしたヘルマン・ハンゼンや、バウムクーヘンでお馴染みのカール・ユーハイムといった人たちがいたことも分かりました。なお、第2次世界大戦時には、オーストラリア人捕虜の収容所も造られました。
  映画のロケ地として、有名スターがたくさん大正の地を踏んだことも、あまり知られていない史実。身空ひばり、石原裕次郎、長谷川一夫などを、電車やバスの中、路上で見かけたという目撃談が、3050人からは続々と出てきたそうです。「君の名は」(佐田啓二、岸恵子)の一部も大正橋で撮影され、他に、寅さん、細雪、仁義なき戦い、ハリウッド映画のブラック・レインなど、18本の映画のロケが行われたことが分かりました。

旧大正運河
バックの港大橋と千歳橋も美しい

 

 お話を伺った後は、松田さんにとっておきのポイントへと案内していただきました。まず訪れたのが、以前、大正運河だったところ。今は埋め立てられ、一部が大阪港の内港として使われていますが、桟橋が独特な雰囲気を持っています。
  ここには昔、20万坪にも及ぶ巨大な貯木場があり、輸出高は日本一を誇りました。700社に及ぶ木材関連会社をはじめ、造船所や回船問屋もたくさん並んでいたそうです。その後、貯木場は住之江区の平林に移されました。

木津川飛行場跡

 次に訪れたのは、木津川飛行場跡。ここには日本で最初の公設飛行場がありましたが、滑走路は陸上にはなく、木津川上を滑走する水上空港でした。4人乗り、8人乗り、12人乗りの飛行機が飛んでいましたが、機体は起重機船(クレーン船)で木津川上へ運ばれ、乗客は係員に肩車されて浮かんだ機体へと乗り込んだそうです。有名人もたくさん利用した飛行場だったため、スターを肩車した男性の体験談も松田さんは聞いているそうです。
 また、当時、エア・ガールと呼ばれた客室乗務員は、着物姿で大正の町を華やかに行き来していたとのこと。その後、あこがれの職業となった客室乗務員は、日本では大正が発祥地だったということになります。

問い合わせ:
大正区役所区民企画担当市民協働グループ
06―4394−9976