2010年1月23日(土)放送
 

鉄腕アトムは大阪生まれ?

「手塚治虫を訪ねて」

豊中市生まれの手塚治虫は、兵庫県宝塚市で育ちましたが、大阪市内にもゆかりの地がたくさんあります。田浦紀子さん(写真左)は、中学校の時に図書館で火の鳥を読んで手塚ワールドにはまり、宝塚市をはじめ、池田市、豊中市、そして大阪市における手塚治虫ゆかりの地をまとめた「虫マップ」を何度か発行してきました。また、 2008年に大阪商工会議所の主催で行われた町歩きのガイドを担当し、「大阪発見まちあるきツアーマップ〜手塚治虫と大阪」を作って、大阪市内での“手塚ポイント”をまとめました。
左の写真は淀屋橋交差点南西角にある石原時計店で、社長の石原実さんと撮影。石原さんは、 池田師範付属小学校(今の大阪教育大学付属池田小学校)時代の6年間、手塚治虫とはクラスメイト。彼を最初に大阪市立電気科学館のプラネタリウムに連れていった人物です。以来、手塚治虫はプラネタリウムに頻繁に通い、それが鉄腕アトムなどSF作品の創作へとつながりました。なお、石原さんは手塚作品の悪役キャラ「金三角(藤原宏美が手にしている画)」のモデルになった人としても知られています。

北浜にある「適塾」。手塚治虫が卒業した大阪大学医学部の前身であり、彼の曾祖父・手塚良庵が学んだ私塾でもあります。彼はここで福沢諭吉らと共に緒方洪庵の門下生となり、蘭学や医学を学びました。福沢諭吉著「福翁自伝」には、手塚良庵の名がしばしば登場します。

福翁自伝をもとに作った手塚作品が「陽だまりの樹」。これはその1シーンを描いたもの。適塾のすぐ南、緒方洪庵の末裔の方が所有する医療ビル「緒方ビル」の1階で無料公開されています。そこには、洪庵と良庵が種痘をする姿が描かれています。

手塚治虫を夢中にさせたドイツ製のカールツァイスII型は、1937年に日本初、世界でも25番目のプラネタリウムとして電気科学館に導入。1989年に役割を終え、今は大阪市立科学館で展示中(世界に現存する3機の内の一つ、大阪市登録文化財)。ここでは、主任学芸員の嘉数(かず)次人さんにお話を伺いました。