2010年1月16日(土)放送
 

歴史と健康の一石二鳥

「城東歴史探偵団」

城東歴史探偵団は、大阪市城東区内を訪ね歩き、歴史的な魅力を探っていこうという団体です。あらかじめ歴史を詳しく調べた上で訪ねるのではなく、宮司さんなど地域の歴史に詳しい方にガイドをお願いしたり、歴史にあまり興味がなくても、健康を目的に楽しんで参加しているという方がいたりするのが、他の郷土史愛好会とひと味うところです。
活動は、現在の団長の叶貞二さんが、平成17年度から生涯学習ルームで「大阪ぶらっとハイキング」という講座を持ち、参加者を連れて市内のあちこちを訪ね歩いたのが起源。平成19年1月からは地元の城東区に特化することとし、城東歴史探偵団を発足させて、大阪案内人の西俣稔さんにガイドをお願いしました。平成19年4月からは、年6回、区内の色々な所を訪ね、その地域の歴史に詳しい方にガイドをお願いしています。
現在、団員は約50名で、そのうち7名が世話人として歴史を調べる活動をしています。今回は団長の他、3名の世話人にお願いをし、歴史ポイントをご案内いただきました。

守本一志さんにご案内いただいた「鴫野・今福古戦場跡(城東小学校内)」。1614年の「大坂冬の陣」で、西軍(大坂方)の軍勢を東軍(徳川方)の佐竹義宣・上杉景勝6500人の軍勢が攻めた戦いでしたが、昨年の大河ドラマで描かれたような騎馬戦ではなく、大坂方が当時流れていた大和川の堤防を切り、一帯を湖のようにして迎え撃った泥まみれの戦いだったそうです。

本條明さんにご案内いただいた「新喜多新田会所跡」。17.04年の大和川付け替えに伴い、それまでこのあたりを流れていた大和川跡に新田が開発され、そこで出来た農産物を保管したり、年貢を集めたりといった仕事をしたのが新喜多新田会所。新田の所有者の鴻池十郎、鴻池七、今木屋兵衛の名から新喜多と名付けられました。

酒井啓一さんにご案内いただいた「野江水神社(写真左下)」の隣、榎並小学校にある榎並城跡伝承地の碑。榎並庄と呼ばれた当地は水害が多く、三好政長が榎並城を築く際、守護神として城内に小さい祠を造り、祀ったのが野江水神社の起源と言われています。なお、榎並城は平城だったようですが、場所は特定されていません。