2009年11月21日(土)放送
 

日本三大遊郭の町

「新町の歴史をたどって」

江戸時代初期の1620年代後半、大阪の遊郭を一カ所に集めたいという木村又次郎の申し出を幕府が認め、湿地(芦原)だった新町(現・大阪市西区)に江戸の吉原、京都の島原と並ぶ三大遊郭街の建設が始まりました。大阪商人の財力をバックに、30〜50年後には日本最大級の花街となり、井原西鶴や近松門左衛門などの文学作品の舞台にもなりました。明治になり、川口(西区)に大阪港が開港すると、外国人から日本女性を守るという理由で遊郭が禁止となり、松島(西区)に外国人が利用できる遊郭街が造られ、新町は、いったん衰えました。その後、娼妓中心の松島に対し、芸妓を中心に新町は復活を遂げましたが、戦災によりほとんどが焼け野原となりました。
「NPO法人なにわ堀江1500」は、戦前の新町の姿を地図とジオラマで再現する展示、「なつかしの昭和 新町展」を12月に開催します。今回は代表理事の水知悠之介(みっともゆうのすけ)さんと、数少ない新町遊郭の名残を訪ね歩きました。左の写真は、新町遊郭東門跡。

なにわ筋に面している出版物取次販売「大阪屋」のビルは、 大正11年に建てられた芸妓達の歌舞練場である「新町演舞場」の一部を今も使用(中央の煉瓦部分)。

大阪屋の南向かいの公園にある、「角藤定憲(すどうさだのり)改良演劇創始之地」の碑。角藤が明治21年に旗揚げした「日本改良演劇」は新派へとつながり、その劇場である新町座は新町演舞場になったとのこと。

右は水知さん。藤原が手にしているのは、新町の有名芸妓・夕霧太夫が使った箱枕。12月4日〜16日まで大阪市立中央図書館で開催される「なつかしの昭和 新町展」で展示されます。

実際の展示の様子はこちら