北国街道・長浜

 
黒壁ガラス館
今浜と呼ばれる寒村だった長浜は、湖上交通で都市や領国を繁栄させようとした秀吉が造った城下町。秀吉は年貢免除や賦役免除で人を集め、長浜繁栄の基礎を築きました。北国(ほっこく)街道は、鳥居本(彦根市北部)付近で中山道と分かれて北上し、長浜や木之本を通り、滋賀県と福井県の県境を越えて金沢まで行く道ですが、秀吉の時代にはまだ長浜の街中は通っていませんでした。後の時代、長浜と共に北国街道も栄え、長浜も城下町時代とは街の構造が変わっていきました。
 1615年に取り壊された長浜城は、1983年に市民の要望で再建され、中は市立長浜歴史博物館になりました。一方、人気スポット「黒壁ガラススクエア」は、昔の建物を利用した一大観光エリア。シンボルの「黒壁ガラス館」の建物が取り壊される話があり、民間と市が保存運動を展開。それがきっかけで生まれた街です。この「スクエア」の南の入口には、秀吉の時代に長浜の自治を担い、街づくりに協力した安藤家の屋敷があり、内部が一般公開されています。

 

長浜城 歴史資料館に展示されている長浜城の模型
城の詳細はこの程度しか分かっていない(現在のお城は想像で建てられた)
安藤家屋敷
国友鉄砲の里資料館では火縄銃の模型を構えてみることもできる。 国友鉄砲の里資料館 国友鉄砲の里資料館に展示されている鉄砲

  北国街道を北上すると、日本の歴史を物語る見どころがたくさんあります。堺と並ぶ火縄銃の産地だった国友(長浜市)には「国友鉄砲の里資料館」があり、実際に使われた火縄銃などが展示されています。浅井(あざい)町には、姉川古戦場跡があり、姉川をはさんで織田・徳川軍と浅井・朝倉軍か激突した様子を想像することができます。
 木之本町に入ると、北国街道の西に賤ケ岳七本槍古戦場があります。羽柴秀吉軍と柴田勝家軍とが織田信長の跡目をかけてここで戦いましたが、活躍した有名武将7人の名前が「槍」という形で残ったため、この名称となりました。また、木之本宿では、「目の仏様」として信仰を集める木之本地蔵院(浄信寺)や古い家並みなどが軒を連ねています。

姉川古戦場跡 姉川をはさんでどのような戦いが繰り広げられたのだろう ここで賤ケ岳の戦いがあった
 
木之本地蔵院 木之本宿の家並み  
 

近畿道ものがたり 取材アルバム 2004